引き寄せの法則 エイブラハム|香港在住

引き寄せの法則、エイブラハム、バシャール、セイント・ジャーメイン、マット・カーンさんなどについて英語の動画や書物を和訳してご紹介しています。おすすめ記事は『ジェリー・ヒックスさんの死は間違いだったのか』『バシャールによるフリーエネルギーを生み出す方法』『生死のプロセス|もう二度と生まれ変わらない方法』『自分が嫌いで自分を愛することができなくても大丈夫!』『思い通りに引き寄せられないときはどうすればいいの?』など多数です。毎月10日に更新しています。

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悲しいのが怖い?痛みを伴う思考による束縛

二頭の馬

エイブラハムの言葉より:

「存在するたった一つの束縛というのは—

それらのことを考えると心が痛むことについての思考を持つという習慣—

これがたった一つの自らが自らに課している束縛である。」

The only bondage that exists is that self-inflicted bondage of

having habits of thoughts upon things that hurt when you think about them.

エイブラハムは、もし束縛というものが存在するとしたら

それは、自分で自分の心の中に、痛みを伴う思考を持つ習慣のことだと言っています。

 

つまり、あることを考えると心が痛む、傷つくということについて

何度も考えてしまうという思考のパターン・癖・習慣

唯一の存在する束縛であると言っています。

 

でも、それ以外には束縛は存在しないという意味でもあるし

自分で選んで自分に足かせをはめているということだから

この束縛は自分で解き放つことができますね。

 

どうしてもそうなってしまう、どうしても考えてしまうという

自分ではコントロールできないような束縛感・無力感を

私はよく感じてしまっていますが

実は、それは自分以外の人からさせられたことではなくて

自分で自分にしていることだということが真に理解できれば

とても自由になれると思います。

 

自分を奴隷にしていたのは自分だったなんて・・・

誰かのせいにしたかったなあ・・・(^_^;)

この唯一のバンドエイド・・・じゃなかった、bondage(束縛)を

いつも忘れないようにします。

ボンドみたいにくっつけていたのは私か・・・

 

エイブラハムは次のようにも言っています。

「あなたはどこでも自分の望むところにフォーカスするパワーを持っている。

だからこそ、自分を傷つけられるものは全く何もないということに

やがて気づくようになる。」

In time, you’ll come to recognize that nothing can ever hurt you

because you have the power to focus wherever you want to focus.

心を痛める思考を持つか、そうではない思考を持つかは

全て自分の自由で、自分は何でも好きなことを考えられる

つまり、何でも好きなところに自分の焦点を当てることができるとわかると

自分を傷つけられるものは何もないことに

やがて気づくときが来るそうですね。

 

エイブラハムは、誤解のないように別の説明もつけ加えていますが

ネガティブな感情というのは、喜んで受け止めるべきことだと言っています。

 

その一つ目の理由は、コントラストを観察・経験して、ネガティブな感情を感じ

それについて改善された願望を生み出すことは

願望のロケットをSourceに向けて飛ばすという行為

つまり、ステップ1のプロセスに当たるからだそうです。

 

このステップ1があるからこそ

ステップ2のSourceがそれになり(=Sourceがその願望を波動的現実において実現し)

ステップ3の私達がそれを許し受け入れる(=allowする、この物質界で現実化する)

という共創(co-creation)が可能になるそうです。

 

ステップ1は意識しなくても勝手に起こるし

ステップ2はSourceの仕事なので

私達が実際に意識してすることはステップ3だけだそうです。

 

ステップ3だけに集中していたらいいのですね。

生きていたら自然にステップ1はしているそうなのでね。

 

さて、ネガティブな感情は喜んで受け止めるべきものだということのもう一つの理由を

エイブラハムが次のような例えを用いて表現してくれました。

 

「例えば、私達がお鍋を置くはずの熱い電気コンロの上に手を置いたとする。

手の方を見ないで置いたとする。

そのときに「何も感じない。痛くもない。

でもなぜだか知らないけど、だんだん変な臭いがして来て、煙も出て来たけど

それ以外は何も変わったことはない。」

というふうに思ったら困るよね?

 

そうじゃなくて「アッチーー!!!」とすぐに感じて

コンロの上から即座に手をどけてほしいわけだよね。

そうじゃないと手の皮膚がただれて大やけどをしてしまうよね。」

・・・確かにそうだ!

 

感情というのは、熱いものに触ったときの

痛みと同じような働きをしてくれているそうです。

それぐらい反射的に感じて

すぐにその行為を変えさせるぐらいパワーがあるものなのですね。

 

痛みが体を守る方向に導いてくれるのと同じように

感情は私達を望む方向に導いてくれるということになりますね。

 

そして、エイブラハムはこんなふうにも言っていました。

(一語一句を訳したのではなくて、要訳です。)

「悲しみなどを感じても、全く構わない(問題ではない)。

なぜなら、あなたはそれについてどうすればいいかを知っているから。

どうすれば、その悲しみの感情がなくなるかを知っているから。

その悲しみの感情は、あなたのフォーカスによって変化することを知っているから。

だから、あなたは悲しみを感じても、満足している。

「悲しみを感じても満足している。悲しみの中で満足している。」

という状態があるのだよ。

永遠に続く拡大の中で、ネガティブな感情の余地、

つまり、ネガティブな感情を感じる余裕が必要なのだ。

(ゴムを引っ張るスペース的余地がなかったら

ゴムを飛ばせないのと同じだということですね。by メアリー)

それにあなたは、周りの状況が何も変わらなくても

自身のフォーカスのパワーによって

悲しみの原因となった思考をふわっと持ち上げて、手放すことができる。

すると、あなたの心の中に痛みを感じさせることによって

外部からコントロールされることがなくなる。

他人にネガティブな感情を感じさせることで

他人をコントロールしている人が少なからずいるからね。

ネガティブな感情によって

外的要因(状況や他人)にコントロールされないことがわかると

あなたは、満足して、また次の願望を生み出す。

時々ネガティブな感情を感じても満足して、それを指針として利用する。

「私はそれについてどうすればいいのか知っている。

(I know what to do about it.)」と言う。

悲しみなどの感情は、あなたが今どこにいるかを教えてくれるから

賞賛すべきものなのだ。

自分の感情の指針がしっかり働いていると喜ぶべきことなのだ。

だから、その感情を感じることを恐れる必要はない。」

 

エイブラハムは上記のことを

あるセミナーの中で話してくれました。

そのセミナーの質問者の最初の質問は

「あなたの教えを知ってから

悲しみを感じることが怖くなってしまいました。

悲しみを感じてはだめだ、だめだ、だめだ、だめだ・・・

とずっと思ってしまうのです。」

というものでした。

 

この質問のおかげでとてもためになる話が聞けましたね。

束縛、感情の指針、フォーカスのパワーなど

今回は盛り沢山の内容でしたね!(^o^)丿

最後まで読んで下さって本当に有難うございました<m(__)m>

 

関連記事もどうぞ。

『思い通りに引き寄せられないときはどうすればいいの?(Part 1)』

『人生に意味はない 自分で自由に意味を付けられる』

 

(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)

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Name: メアリー

18 Replies to “悲しいのが怖い?痛みを伴う思考による束縛”

  • にしいひであき

    メアリーさん。
    息ができること。
    感じられること。
    言葉が使えること。
    動けること。
    健康を保てること。
    だれかのことを思えること。

    いつも無意識に過ごしていることに意識を向けると、
    どれひとつ欠けてもわたしはここにいないことに気づく。
    生きているだけで、わたしはこんなに満たされている。

    ここから始まりここへ戻る。
    コントラストへの向き合う仕方が変わってくる。

    痛みと苦しみを肯定しその理由を探し憎しみ恨みの感情を創り出しそのなかで安住するのではなく、痛みと苦しみを只感じ、否定も肯定もせず、そのなかに安住せず、できること、それでも自分に働けることをする。ちいさな働きは次への働きを産む。痛みと苦しみのなかで、自分にどうすることもできないことは、感謝と慈悲。そして、おおいなるもの(神)の働きのなかに委ねてしまう。すべてものごとは、自分の力のみにおいては成らず。おおいなるもの(神)の働きを受けて成るものである。という信念を勇気に変えて。
    ※自分にできるちいさな働き。
    朝目覚めたら、ありがとうっていう。
    家族がいたら、笑顔でおはよっていう。こんなちいさなこと。些細なこと。ひとつひとつ、積み上げてゆく。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、いつも有難うございます。

      「朝目覚めたら、ありがとうっていう。
      家族がいたら、笑顔でおはよっていう。こんなちいさなこと。些細なこと。ひとつひとつ、積み上げてゆく。」
      の部分に本当に共感しました。
      もちろん他の部分にもたくさん共感しました。
      でも私達にできること、そして実は一番大切なことは
      このような毎日の一つ一つの行動の連続なのではないかと思います。
      ドカーンと大きな良いことをするのももちろん大切ですが、
      普段の積み重ねというのは、一番確実で大きな結果が出ると思います。
      朝目覚めたら有難うって言うの、本当にいいですね。
      家族に笑顔で「おはよう」って言うのもものすごいことですよね。

      「だれかのことを思えること」
      これがすごいことだと今まで気づきませんでした。
      思えるってすごいことなんですね。
      また、思う人がいるということも幸せですよね。

      「どれひとつ欠けてもわたしはここにいないことに気づく。
      生きているだけで、わたしはこんなに満たされている。」
      ということにも気づかせて下さって有難うございます。

      にしいひであきさんは本当に感謝の心に溢れていらっしゃって
      素晴らしいですね!

      Reply
  • メアリーさん、こんにちわ!
    今月も素敵な内容ですね(^o^)

    どんな感覚・感情も感じきるようにしてあげています。大事な自分自身の感情ですからね♫

    辛い時は時間がかかりますが(^_^;)

    今日はスポーツの日です。
    香港にはスポーツの日ってあるのかな(笑)

    日本は食欲の秋ですが、香港の秋はどうなのかしら〜?

    お身体にはお気をつけて素敵な毎日をお送り下さいね(^_-)-☆

    Reply
    • メアリー Post author

      エイヴリィさん、今月も有難うございます!
      感情を感じられる、そしてその感情は選べると思うとうれしいですね。
      今からどんなことを考えたいかな~ってウキウキしてる私、おかしいですか(笑)
      なんか子供ってそんな顔してますよね。
      いろんなこと考えて一人でウケてるの、可愛いですよね。

      今日はスポーツの日なんですね。
      もう体育の日とは言わないんだ(笑)
      香港にそういう日はないですね。
      ドラゴンボートレースをする日とかそういうのはありますけどね。

      食欲の秋という言葉はたぶん日本語しかないのじゃないかなと思います。
      香港の人は一年中食べ物を楽しんでますから言わなくていいのかも(笑)
      美味しいと思って食べると何でも身になりますね。
      健康って有難いですね~
      エイヴリィさん、本当にいつも有難うございます。
      お互いに良い毎日を送りましょうね!

      Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。ありがとうございます。
    朝起きたらありがとうっていう。
    起きてからだれかに会ったら笑顔でおはようっていう。
    かんたんだけどむつかしい。
    不機嫌だったり落ち込んでいたり哀しかったりする日もあるから。
    だからおおきい。
    ちいさいけれどおおきなこと。たいせつなこと。
    このちいさくておおきなことの積み重ねが、

    満たされている感覚とか、困難にあっても痛み苦しみを只丁寧に感じ、そのなかで、できることはやり、どうすることもできないことは愛(感謝と慈悲。おおいなるもの(神)の存在。)に委ね手放すとか。こんな生きる仕方を身につける、エクササイズになるんじゃないか。そう感じました。

    神はあかるくて、ほがらかで、あたたかなところに宿る。
    そんな気がします。

    なんだか人生に追い詰められたら神という言葉に抵抗感がなくなっていました。すこしだけじぶんのなかの傲慢がちいさくなっているのかも。痛み(コントラスト)があるからこそ、気づけたことです。

    わたしがおもう神とは、わたしがものごとを成せるとき、わたしだけの力ではなく、わたしが受け取るすべてのものたちの働きの助けによって果と成す。
    この信念の象徴であり、感謝と慈悲と、生きる勇気の源です。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、いつも有難うございます。

      「ちいさいけれどおおきなこと。たいせつなこと。
      このちいさくておおきなことの積み重ね」
      こういうことに目を向けられることは素晴らしいですね。
      身近にあることが一番難しいのかもしれません。
      それをずっと続けられることは、宝なのだと思います。

      「神はあかるくて、ほがらかで、あたたかなところに宿る。」
      本当にそう思います。
      明るくて、朗らかで、暖か・・・本当にいい言葉ですね。
      それがあれば全てがある感じがします。

      いろいろあっても、にしいひであきさんのような心があれば
      絶対大丈夫ですね。
      大丈夫以上のものがありますね。
      そんな素晴らしいことを毎日感じて生きていらっしゃるなんて
      それを幸せと呼ぶのかもしれません。
      そんな気持ちにはなれない人もいる。
      だからこそ、自分がそういう気持ちを感じることは大切ですよね。
      なぜだかわからないですけど、そう思います。
      自分に感じることのできる最高の気持ちを
      いつも感じる努力をしながら生きるのは楽しいですね。
      美しい気持ちを感じることができるのも
      自分の力ではないと私は思っています。
      何か自分に組み込まれたものがあるような気がします。
      周りの全ての力、何か大いなるものの力があるように思います。
      自分の気持ちも自分だけでは感じていないような気がします。
      だからこそ、美しい気持ちを感じられる時は
      それを少しでもたくさん感じたい、そのように努力したいと思います。
      これを努力と呼ぶのかどうかはわかりませんけどね。
      にしいひであきさんもそのようなことをおっしゃっているような気がします。
      いつも有難うございます。

      Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。
    痛み苦しみ恐怖不安哀しみの感情の発現を刺激する、自分の力ではどうすることもできないと感じてしまう現実的要因は常にあります。

    それを否定も肯定もせず丁寧に只感じる。感じながら、意識は満たされている自分。神(すべての事象)の助けをいただいている自分に向ける。(エクササイズは意識を固定化、潜在化するための作業)。

    すると感謝と慈悲の意識が発現される。笑顔と言葉(神様ありがとうございます。)の反復により意識を強化し固定化させる。

    そこから行動が始まる。初めはなにをすればよいかみえないしわからない。でもあせることなくこの姿勢をとり続ける。するとある日ふと、行動することの手がかりがみえるときがある。

    いま私はこのステージにいます。

    Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。ありがとうございます。こちらの不具合で、なぜだかコメントを書いてからでないとメアリーさんのコメント拝読できなくなっていて前後してしまってすみません。

    明るく朗らかで暖かな。美しい気持ちを感じられること。そんな自分で在ることこそ。神様(おおいなるもの。すべての事象。)の助けをいただいていることの顕れなのですね。

    そして自分は本来そうであるという真理に気づくことができれば、いかなる状況にあっても、明るく朗らかで暖かな気持ちを響かせるわたしの姿が顕れてくるのですね。

    こんな意識の響きが感応していったら、ほんとうに世界は善き姿に成ってゆくのかもしれません。

    あっ。なんかいま。ここまで書いてきて すごくおおきな光を感じたっ。
    きっとこの感じが、おおきくおおきく育っていくのでしょうね。

    Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。ありがとうございます。

    周囲の状況が変わらなくてもその状況から誘発される負の信念を手放すことができる。

    負の信念は、負の要因となっている状況に意識を向けさせるので、意識と連動している身体活動が制限減弱されその結果行動が障害される。反応は現実として顕れ、状況の改善を阻害することにつながる。

    負の信念を手放し、意識を善き事象に向けることで、適切な身体活動が促され、行動が発現し、その反応は善き現実として顕れる。

    負の信念を手放す方便として、笑顔と神様(すべての事象)助けをいただいてありがとうございます。の言葉。そして感謝と慈悲のおもい。

    その作業により創造される新しい信念こそ、
      わたしはすべて満たされて幸せのなかに在る。

    この信念が意識を善きものへと向かわせ適切な身体活動を促し、行動の発現、善き現実の顕れへと続く光の道となる。

    いま怖いから立ち止まって長々と理屈を書いている。書きながら冷静を創っている。
    でも、やることはシンプル。
    笑顔と神様ありがとうございますの言葉。そして感謝と慈悲のおもいを響かせること。
      あとは行動。行動。また行動ですね。
    わたしは。かならずよくなる。だからだいじょうぶ。
    祈りの言葉をくちずさみながら。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、3件もコメント有難うございました。
      いつも読んですごいな~と思っています。
      そこまで深く私は考えたことがないというのが正直なところです。
      「でも、やることはシンプル。
      笑顔と神様ありがとうございますの言葉。
      そして感謝と慈悲のおもいを響かせること。」
      本当にその通りですね。
      いろいろ理屈はあっても、やはり毎日やることは
      シンプルなことの積み重ねですね。
      それが続くととても大きなものになりますよね。
      いつも有難うございます。

      Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。
    ありがとうございます。

    自分のちからでは、どうすることもできないと感じるものに向き合うとき。

    すべてのものへの感謝。
    すべてのものへの慈悲。
    お金はある。おとずれる。つくる。
    お金は周り廻って善き働きをしてくれる。
    ~がないと言葉にしない。いいたくなったら、~はあるっ。くる。つくるって言う。言うだけでいいから。
    他人に対して自分の妬みから産まれる独善的な批判を言葉にしない。したくなったら、~さん。よかったねって言う。言うだけでいいから。
    そしてすべてのものを包含して、締めくくる言葉。
    神様。
    いつも助けをいただいてありがとうございます。

    この仕方で、どうにもならないと感じるものは、委ねる。手放す。
    手放したら、手放せないと感じてもいいから、次は、できること。いま、自分にできることを。行動。行動。行動。
    ちいさなことでもいいから。ちいさなことこそ大切。
    行動することが今みえなくても、わからなくても、あせらずに。きっとみえるときがくるから。

    この仕方を積み上げる。悲壮にではなく。無理に楽しまなくてもいいけど。悲壮だけは手放して。

    そしてでてきた果を慈しむ。ちいさなものでも、ときに意にそぐわなくてもその果を慈しむ。
    やがておおきな果にかならず成るから。

    だいじょうぶ。わたしは、あなたは、かならず、よくなる。だから、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。

    なにがあっても、天はいつも、わたしの、あなたの、味方だよ。だいじょうぶ。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、いつも有難うございます。
      にしいひであきさんのコメントは
      何だかチャネリングしているような内容だと感じています。
      誰でもそうだと言えばそうですけどね。
      文章を書くときとか、何かを創るときとか
      スポーツのとき、お料理のとき、話しているとき、
      本当はどんなときでも人はチャネリングしていますよね。
      にしいひであきさんの書かれる内容には
      本当に美しい、純粋な光が表れているように思います。

      「~さん。よかったねって言う。言うだけでいいから。」
      「ちいさなことでもいいから。ちいさなことこそ大切。」
      「悲壮だけは手放して。」
      「でてきた果を慈しむ。」
      などなど、本当に素晴らしいメッセージが含まれていますね。
      全部の文章が素晴らしいんですけどね。
      いつもこんな素晴らしい内容を惜しみなくシェアして下さって有難うございます。
      普通は自分だけに留めておく人も多いと思いますが
      私もこういうことをシェアして頂ける機会に恵まれて
      本当に有難いと思っています。
      いつも有難うございます。
      どんどん幸せになって行かれることはもう決まっていますから
      これからも応援していますね。

      Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。
    ありがとうございます。

    すべてのものへ。ありがとうございます。
    すべてのものが。よくなりますように。
    お金はある。お金はやってくる。お金はつくる。
    いま わたしは 満たされている。
    神様。いつも 助けをいただいて ありがとうございます。

    理屈を手放して、この言葉を、毎日、繰り返し唱えます。ピンチのときに、おもわず でてしまうようになるまで。自分の潜在意識に刷り込まれるまで。

    Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。ありがとうございます。
    この場所を創っていただいて感謝です。

    わたしがこちらの場所で書いているものは、

    じぶんから、じぶんに向けた、 じぶんが、
    じぶんとすべてのものたちが、善くなるための働きをさせていただけるようになることを願って、学ばせていただいていることたちから紡ぎだした言葉の羅列です。そして、自分で書いたものを読み返しながら、自分の支えにしています。

    その言葉に対して、メアリーさんからいただいている暖かな言葉は、わたしにとって、おおきな力です。
    すべての果は自らの力のみによって成されしものにあらず。わたしが紡ぎだしたこの言葉は、もう、今、この場で、顕現されている。ありがたい。ありがとうございます。自分を信じよう。自分の紡いできた言葉たちを信じよう。勇気をだして 進んでいこう。
    メアリーさん。ありがとうございます。
    そして、
    神様。いつも 助けをいただいて ありがとうございます。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、また2つもコメントを有難うございました。
      この場を活用して頂いていること、感謝しているのは私のほうです。
      こんなふうに使って頂けるとは思いませんでした。
      私の返信は大した内容ではありませんが、
      いつも読ませて頂いていて感謝しています。

      「すべての果は自らの力のみによって成されしものにあらず」
      ↑このことをわかっていらっしゃるにしいひであきさんは
      感謝の心が自然と湧き出て来ますね。
      だからこそ周りや神に対する感謝が生まれるのだと思います。
      感謝できる心というのはとても豊かですよね。

      そして、感謝してほしいと思う心は
      依頼心なのではないかと思いますが
      そういう心はさらッと捨てられるといいですよね。
      感謝してくれない相手にも感謝できるようになれば
      感謝のプロなんでしょうね。
      なんかすごいレベルの話になったかもしれません・・・

      にしいひであきさんの考え方は素晴らしいと思いますが
      それだけではなくて、その素晴らしい考え方が
      来る日も来る日も来る日も続いているのが素晴らしいと思います。
      ある一日だけそういう気持ちになれる日があったとしても
      ずっと恒常的に続けられることは
      実はとても難しいことだと思います。
      それができることは宝だと思います。
      継続に価値がありますね。
      もちろん一日だけでもないよりはずっといいですが
      続けられれば更に素晴らしいですよね。
      私も見習います。
      どうぞ更にお幸せになって行って下さい。
      いつも有難うございます。

      Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。今朝から言葉の唱え 実践しています。目覚めたとき。運転ちゅうに。お客様にご訪問するまえに。これから愚かなほどに続けてみます。

    愚かといえば ウルフルズのバカサバイバーって曲があります。おもいだして聴いてみたらとても深くて。運命からは逃げられないし避けられない。それなら馬鹿みたいに取り組んでみよう。しょげてたり、反省ばっかりしていないで。前を向いて。
    そして何度も繰り返される 生き残れ。生き残れの歌詞。聴いていたら元気がでてきました。

    Reply
  • にしいひであき

    メアリーさん。
    ボランティアについて疑問を感じていたときがありました。ボランティアをする喜びは、相手からの笑顔。
    ときどき耳にするこの言葉に違和感を覚えて。
    相手の笑顔はうれしいけれど。
    ボランティアは自分がそれをさせていただけていることにこそ、感謝と喜びがある。させていただくときは、けっして、押しつけにならないように。相手の負担にならないように。謙虚な気持ちを忘れずに。
    あくまで個人的な感覚ですが、相手からの笑顔や感謝を過剰に求める意識は、相手への依存。極論すればそれをすることで、自分の自意識を高めるための独善的な行為。ともすれば陥りがちな意識なので、ボランティアに限らずなにかをするときは、気をつけて。気をつけて。
    自分にそう言い聞かせています。
    いまはおもいます。
    自分が生活する場で、自分が懸命に生きることこそ、
    だれかのお役立ちにつながるのだと。
    でも、やらない偽善よりやる偽善。という言葉もあります。やはり理屈のまえに、自分に素直に行動することこそ大切なのかもしれませんね。

    Reply
    • メアリー Post author

      にしいひであきさん、また2つコメントを有難うございました。
      ウルフルズのバカサバイバーっていう曲、今日初めて聞きましたけど
      セリフの所が特にいいですね!
      元気が出るっていう意味がわかりました。
      なんかウルフルズの曲は全部元気が出るような曲なんじゃないでしょうか。
      一通り聞いてみたいなと思いました。
      すごく皆のことを思って書かれている歌詞・曲だと思いました。
      笑いの中に真実があるのがいいですね!

      ボランティアは確かに奥が深いですね。
      相手からの笑顔を頂くと疲れも吹っ飛ぶとか
      そういう意味はもちろんわかりますよね。
      誰でもそれは感じると思います。
      根底に人の喜びと自分の喜びが同じになるということがあるのだと思います。

      ただ、にしいひであきさんのおっしゃる
      「ボランティアは自分がそれをさせていただけていることにこそ、感謝と喜びがある」
      とおっしゃること、私も肝に銘じようと思いました。
      べつにボランティアをしているわけではないのですが
      生きていると人間関係でボランティアと同じようなことを経験しますよね。
      「相手にしてやった。こんなにしてあげたのに相手は・・・」みたいなことを
      思いやすい私は大反省ですよ。
      「させて頂ける」ということに感謝と喜びを感じる、
      そういう機会を頂けていることに感謝と喜びを感じる、
      というにしいひであきさんのお考えはすごいと思います。
      家族間・友達間・その他の人間関係でも
      そのような気持ちを忘れてはいけないと思いました。
      今日も素敵な学びを下さって本当に有難うございました。

      Reply

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