無条件の愛 by セイント・ジャーメイン
アシャーマリ(Ashamarae)さんというアメリカ人男性がチャネリングしている
セイント・ジャーメイン(Saint Germain)という聖人のスピリットが
無条件の愛というテーマで話をしてくれたので
その内容を要訳してご紹介させて頂きますね。
以下、セイント・ジャーメインの言葉です。
永遠の命への鍵とは何かをあなたに教えたいと思う。
あなたにはその教えを受け取る意志があるかな。
永遠の命への鍵は・・・愛だ。
条件のない愛。
ルール(決め事)のない愛。
必要とするものが何もない愛。
そう、愛のためだけの愛だ。
愛があれば私のように
どの場所にでも、どの時間にでも
体を創造することができる。
どんな世界にも出現することができる。
私はこの瞬間にもたくさんの場所にいる。
私はここだけにいるわけではない。
愛があればそのようなことができる。
愛だけが鍵なのだ。
マインドで行ける距離は限られている。
マインドは美しい道具だ。
素晴らしい道具だ。
しかし、マインドは道具でしかない。
それ以上でもそれ以下でもない。
あなたは、電源の付いた道具ではない。
あなたは、スイッチを入れたり切ったりする道具ではない。
時々あなたはそのように行動しているが・・・
それでも、あなたは道具ではないのだ。
あなたは愛の化身だ。(愛が体現されたものだ。愛の権化だ。)
どうして自分を愛することを先延ばしにするのか。
どうして自分を愛するために外部からの許可を待つのか。
この機会に自分の内面をもっとよく見てみてはどうだろうか。
自分の名前、自分の体型、自分の地位や身分、自分の銀行口座というものの
もっと奥にあるものを。
銀行口座で自分の価値を計る人というのは
乾いた心(dry heart)を持っている。
銀行口座の残高を「不足」ということの理由にする必要はない。
完全に豊かになりなさい。
まず最初に、愛で完全に豊かになりなさい。
まず最初に、自分を愛で完全に満たしなさい。
このメッセージは過去から変わっていない。
これから先も変わることはない。
愛が永遠の命への鍵だ。
愛が天国への鍵だ。
愛がニルヴァーナ(涅槃)への鍵なのだ。
本当のあなたは「愛」なのだから
愛を自分から流れ出させるのだ。
しかし、それをどのように行えばいいのかとあなたは聞く。
具体的にはこういうことだ。
何か不親切なことを言いそうになったときに
舌を丸めるのだ(=言うのをやめるのだ)。
誰かを褒めようと思ったときには
恐れの気持ちから一歩前に出るのだ。
誰かを褒めようとしたときに
恐れからやめてしまうという現象を
私達は1日に何百万回も見ている。
神や女神と呼ばれるものが
相手を褒めようというきらめく気持ちをあなたの心に送っても
あなたはそれをやめるようにと自分を説得してしまうのだ。
あなたは相手を褒めたときに
自分にも同時に愛を送っていることを知らない。
相手にだけ愛を与えているのではないということを知らない。
愛を流れ出させるということは、とてもシンプルなことなのに。
それは、自分の愛する人—父親や母親や兄弟姉妹、そして友達など—に
何度も知らせるだけでいいのだ。
「ところで話は変わるけど、私はあなたを愛しているよ。大好きだよ。」と言ってね。
あなたは、彼らがそこにいることが
当たり前ではないと知っているのだから。
人間は、愛を恐れるようになってしまった。
心を開くことを恐れるようになってしまった。
人間は「条件」というものを付けるようになってしまった。
自分のハートを相手にあげたら(=自分の心を開いたら)
自分にも何かが返って来るべきだと思うようになってしまった。
そのような思考を持った時点で
もう既に愛の本質は失われている。
そのような前提を持っただけで既に
愛のエッセンス(本質)は、失われてしまうのだ。
あなたは愛を与えたと同時に
自動的に自分も愛を受け取っていることに気づかないのかい?
あなたは何でいっぱいなのか。
あなたという存在は、何でいっぱいに満たされているのか。
それは、愛だ。
「私は愛でいっぱいだ。」と歌ってごらん。
私は・・・私は・・・
愛で・・・愛で・・・
いっぱいだ・・・いっぱいだ・・・
歌うとどんな感じがする?
心(ハート)の中がどんな感じがする?
楽しいね。
顔に笑顔も浮かんで来る。
私達の目から見ると、あなたがそう歌った後には
あなたのオーラが17フィート(約5.2メートル)拡大している。
文字通り、歌う前より17フィート(約5.2メートル)も拡大するのだ。
ほとんどの人間は、マインドに捕らえられているので
オーラが2~3フィート(約60~90センチ)しかない。
ほとんどの人間は、マインドを使って
エネルギーを拡大しようとして運動をするが
愛に対して心を開けば
自動的にエネルギーが拡大するということを知らない。
輝くばかりにエネルギーが放射するということを。
愛を与えれば世界を変えることができる。
愛を与えれば自分の人生を変えることができる。
これと同じことをもう長い年月に渡って話して来た。
しかし、「あなたの言うとおりにして来たのに
私の人生は何も変わらなかった。どうして?」
と私達に問う人がいる。
それはなぜか?
それは、あなたが愛を与えて来たのではなく
条件を与えて来たからだ。
あなたは条件付きの愛を与えて来たのだ。
代わりに何かが返って来るはずだと思って
愛を与えて来たのだ。
自分が微笑みかけたら
笑顔が返って来るはずだと思うのも条件。
相手をハグしたのに相手はハグしてくれなかったから
愛を引っ込めてしまったというのも条件。
「何かを代わりに受け取るという条件なしに与える」
ということには、無上の喜びがある。
これは、実際に行ってみるまでは
その喜びを知ることはできない。
それを行った人は
自分の人生がどれだけ変わるかに驚くだろう。
自分の苦しみがどれだけ楽になるかに驚くだろう。
あなたの人生に豊かさが流れ入って来て
不足が消え去るだろう。
私達は今までにも何度もこのことを言って来た。
そして、これからも、何度も同じことを言う。
愛が自分の世界を変える鍵なのだ。
愛のためだけの愛を与えなさい。
そして、あなたが変えようとしているものには
全く意識を向けず
あなたがなろうと選択したものに全意識を向けなさい。
それがマスターの道具なのだ。
あなたがそれを使いたいなら、自由にそれを使いなさい。
深呼吸をして。
ナマステ。
以上がセイント・ジャーメインの言葉の要訳です。
とても深いですね。
心が洗われるようですね。
皆様それぞれにいろいろなことを感じられたと思います。
私が変な解釈を付ける前にここで終わりますね。
末筆になりましたが
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって、素晴らしい一年となることをお祈り申し上げます。
関連記事もどうぞ。
メアリーさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
12月の記事もとてもためになりましたが、今月の記事ももの凄く良かったです~!(^^)/
このお話しは、自分の原点に還ることが出来ますね!
毎回ありがとうございます♪♪
ふなこしのりひろさん、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
いつも読んで下さって有難うございます。
そうですね、一年の初めなので、原点に戻るようなお話にしてみました。
私もこういう心を思い出してやって行きたいと思っています。
こちらこそ長きに渡って読んで下さり、本当に有難うございます
メアリーさん。
いつもありがとうございます。
マインド(感情=肉体)は道具?
否。
肉体(マインド)のリカバリーを伝えてくれているのだと思う。執着する心や、
希求する心の暴走が、頑固な脂肪となって肉体を覆う。
愛は覆いを剥がす。
愛こそが肉体の脂肪を燃焼させるのだ。
愛こそ究極のダイエット。
メアリーさん。
愛ってなに?
私が私の好きな私でいること。
真に私が好きな私って?
過度な執着や,
希求に汚染されていない状態で
産まれたマインドを感応したとき。
真に私が好きな私が顕現するのだと思う。
にしいひであきさん、2つもコメントありがとうございます。
愛こそ究極のダイエット、というのは本当ですね。
自分への愛、他者への愛が精神的なものも肉体的なものも
解決して行くと思います。
精神と肉体はつながっていますね。
今日も幸せに楽しく過ごそうとすることが大切なんでしょうね。
いつも有難うございます。
メアリーさん。
ありがとうございます。
過剰な脂肪で肥大した状態で生起したマインド。
脂肪を適度にそぎおとし、スマート(知的)な状態で生起するマインド。
感応したとき。
どちらがほんとうの自分?
どちらがほんとうに好きな自分?
マインド(肉体)のダイエット。
ダイエットはシンプルで易しい。
でも成功はむつかしい。
ダイエットへの執着さえ手放すこと。
たまには自分を甘やかして。
ケーキに菓子パン、どら焼きも。
ビールにワインにウイスキー。
ラーメン餃子にごはんは大盛り。
でも気づいたら成功していて、リバウンドもない。
そんな自然な状態で過ごせたら、幸せですね。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
食べることを楽しんで、体も健康だったら言うことないですね。
その人のベスト体重もあると思いますし
いろいろと気にし過ぎないほうがいいとも言いますよね。
家族仲良く、周りの人と仲良く、楽しんで食べると身になりますね。
それにしても、美味しいものがある時代、環境に生まれられて
本当に幸せですね!
何歳になっても、食べ物を美味しいと思う心、
食べ物に感謝する心を持ち続けたいですね。
歯があって、食欲があって、喉の筋肉もきちんと動き、
どこも痛くなく、楽しく美味しく食べられるということは
当たり前ではないですよね。
食べ物を買うことができるお金があるのも有難いことですしね。
そう思うと、今日も食事・間食を頂けるのは、本当にうれしいですね~~
メアリーさん、こんばんは!
今回の記事に触発されて、
私もブログ記事を書きました↓
【無条件の愛で生きることが出来ない人へ】
https://feuno.com/unconditional-love
この記事で、
メアリーさんのブログも紹介させて頂きました。(^^)/
ふなこしのりひろさん、記事拝見しました。
そちらにコメントもお送りしました。
とってもビックリしました!!
どうも有難うございます。
なんか、ふなこしのりひろさんのご理解が深くて、素ん晴らしい~と思いました。
私はセイント・ジャーメインの言葉を訳しただけですので、
そんなすごい記事は書けません。
記事からふなこしのりひろさんの情熱が伝わって来ました!
セイント・ジャーメインもとても喜んでいると思います。
無条件の愛って本当にいいですね。
自分にも他人にも、無条件の愛で行ってみますね~
メアリーさん、コメントありがとうございます!!
メアリーさんに褒めて頂けるなんて、嬉しいです~♪
私も自分自身に「無条件の愛」を与えることを、ガンガン実践していきます~(^^)/
ふなこしのりひろさん、このブログにも、ご自身のブログにも
お返事頂きまして有難うございます。
私が褒めたらうれしいなんて
ふなこしのりひろさんのほうがすごいんですから
こちらのほうが恐縮です。
お人様の治療やカウンセリングもされていて、大先生ですね!
そういう人のお役に立てる仕事って素晴らしいですね。
どんな仕事もお人様の役に立っているのですが、
それがはっきりと感じられるお仕事もいいですね。
どうぞこれからもたくさんの人をお幸せにして行って下さい。
夢のあるお仕事、本当に素晴らしいです!
メアリーさん。
いつもありがとうございます。
マインド(肉体)についてしまった脂肪とは?
妬み。恨み。憎しみ。不安。恐怖。過剰な歓喜。
エクササイズをして、脂肪をそぎおとしたあとに
顕れる、本来マインドを組成している筋肉、骨格は?
感謝。そして、すべてを包みこむ笑顔。
脂肪をそぎおとすためのエクササイズとは?
感謝と笑顔を身体いっぱいに奏でること。
エクササイズを始めるのにもう遅いはない。
チャンスもよいタイミングもない。
いまから。この瞬間から始めればよいのだ。
今年はマインドのエクササイズを始めよう。
そう、いまこの瞬間から。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
ダイエットや運動などは、おっしゃるように
精神的な面から状態を整えて行くことが大切なようですね。
ご存知のように、エイブラハムもそう言っていますね。
「感謝と笑顔を身体いっぱいに奏でる」という表現、とても美しいですね。
「エクササイズを始めるのにもう遅いはない」というのも本当にそうですね。
楽しんでやることに、時期はないですね。
それに、運動だと思わずに体を動かしていることも多いですしね。
仕事、家事、子育てなど、自然に動いていることは多いですね。
ただ気持ちいいから体を天に向かって伸ばして
自然にストレッチを楽しんでいることもありますしね。
日常にエクササイズを組み込めると一番いいのでしょうね。
そうやって、楽しんで体を動かしたいものですね。
音楽とかダンスとか、やはり楽しむと体にも一番いいですよね。
そうして自分が幸せなことに自然に感謝が湧いて来るという流れは
とても美しい人間の感情だと思います。
いつも有難うございます。
メアリーさん。
ありがとうございます。
体重増加で健康を失うのが怖くて敬遠しちゃう
甘いもの。
こってりしたもの。
お酒におつまみ。
毎日はまずいけど、たまに楽しく食べるのなら、
きっとOK。みんなで食べればなおOK。
食べられることの幸せ。
食べられることへの感謝。
人生に起きてくる問題もおなじ。
なにかを失うことが怖くて敬遠したいけど、
楽しく(むつかしいけど。)みんなで(できれば。)
問題に向き合い、取り組むことができたら、
きっとOK。
生きてるから問題に出会う。
生きてるから問題に取り組める。
生きて自分がいまここに在ることに感謝。
自分を取り巻くものすべてに感謝。
そんなふうに、生きていきたい。
そんな自分になりたい。
そうおもいました。
にしいひであきさん、今日は何度も有難うございます。
素敵な詩のようなコメントを有難うございました。
韻を踏んでいるような構成が素晴らしい~と思いました。
そして、内容にも感動しました。
「食べられることの幸せ。
食べられることへの感謝。」
こういうのって当たり前に思ってすぐ忘れてしまいますね。
大切なことを思い出させて下さって有難うございます。
「生きてるから問題に出会う。
生きてるから問題に取り組める。
生きて自分がいまここに在ることに感謝。
自分を取り巻くものすべてに感謝。」
こういうことも思い出させて下さって有難うございます。
本当にそうだと思いました。
私もそんなふうに思いながら生きて行きたいと思いました。
にしいひであきさん、いつもいろいろな思いやお考えをシェアして下さって
本当に有難うございます!!
メアリーさん、寒中お見舞い申し上げます。
何度もコメントしたのですが、エラーが発生してしまいました(^_^;)
というわけですが、本年度も宜しくお願い申し上げます(*˘︶˘*).。*♡
エイヴリィさん、コメント有難うございます。
お元気かなって思っていたんです。
エラーが発生したそうで、どうしてでしょうね。
何度も書いて頂いたそうで申し訳ないです。
何回やってもまた書き直しだと
もういやだっ!やめだー!と思いますよね。
それなのにまた書いて下さって
本当に有難うございます。
お元気そうで何よりです。
こちらこそ本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
メアリーさん。
ありがとうございます。
愛ってなんだろう?
わたしがわたしの好きなわたしとして生きること。
わたしが好きなわたしって?
おだやかで。
晴れ晴れしていて。
ここちよくて。
どんなときでも安心していて。
行動する勇気がある。
わたしが好きではないわたしって?
自分を恨む。
自分を責める。
誰かを責める。
誰かを恨む。
過剰に恐れる。
不安になる。
攻撃的になる。
どんなときに?
傷つけられたとき。
理不尽に奪われたとき。
例えば自分のプライドとか。権利とか。
どうしたら愛(わたしの好きなわたし。ほんとうの私。)
に戻れる?
おもいっきり、泣いて、わめいて
もがいたら、
ありがとうって。
じぶんと、じぶんを取り巻くすべてにありがとうって。
言葉にだしていってみる。
気持ち、変わるかな?
愛(わたしの好きな、ほんとうの私。)がみえるかな?もし、みることができたら、その状態こそ、無条件の愛。
執着や過剰な希求に汚染されていない真のわたし。
有るとか無いとか条件に汚染されていないわたし。
無条件の愛ってなに?
正解はみつからないけれど、
とにかく、ありがとうっていってみよう。
まずはここから。
できることから。
いまこのときから。
にしいひであきさん、無条件の愛についてのコメントを有難うございます。
いろいろと深く考えていらっしゃるのですね。
自分への言葉は他人が読んでもとても勉強になりますね。
そうやって、自分の心の中を惜しみなくさらけ出して下さることに感謝しています。
とても素晴らしい詩だと思います。
有難うという言葉は魔法の言葉だそうですね。
小林正観さんもそのことをおっしゃっていますね。
それを信じようと信じまいとも
言っても損はないから有難うと何回もつぶやいていたのですが
確かに状況が変わるという体験を何度もしました。
うっそ~!と何度も思いました。
余計なことを考えるより有難うと言うと
自分の心が軌道修正されると思いました。
少なくとも変な方向に暴走するのを止められますよね。
やっぱり暴走前の微妙な段階で軌道修正できると
暴走してから戻すよりずっと楽だと
エイブラハムも言っていますね。
有難うという言葉はその役割も大きいと思いました。
馬のどうどう~という手綱(たずな)にもなるんですね(笑)
有難うは頓服薬かい!と突っ込まれそうですがw
でも、エイブラハムも「迷路の中で、
その時その時に酸素がない部屋からある部屋に移動するような、
そんな少しずつ良い方向に行くように、進んで行けばいいんだよ。
それが全てなんだよ。」というようなことを言っていました。
にしいひであきさん、今日も有難うございました。
どうぞ穏やかな日々を送られることをお祈りしています。
メアリーさん。
ありがとうございます。
じぶんのなかに、暴れ馬がいて、
じぶんがつくってしまった地雷を踏むと、
暴走をはじめる。
走り出したらもうだれにもとめられない。
すべてが壊れるまで走り続ける。
止められるのは、じぶんからじぶんへの感謝のこころだけ。
感謝のこころを顕す呪文がありがとう。
ありがとうの言葉はたずな。
じぶんのなかの暴れ馬は、
道を知れば、
凄いちからで じぶんと、じぶんを取り巻くものたちを守る。
メアリーさんの文章を読んで、こんなイメージが湧いてきました。ありがとうの実践。やってみますね。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
私のコメントの後に、すぐにこんな素晴らしい文章が
湧き出て来るというのはすごいですね。
にしいひであきさんはSource(たくさんの存在も含む)とつながって
素晴らしい言葉を紡ぎ出していると感じます。
とてもクリエイティブで、素晴らしいですね。
どんどんいい面が引き出されていると思います。
にしいひであきさんの無限の才能を花開かせて行って下さい。
微力ながら応援しています!
メアリーさん。
ありがとうの言葉には、すべてのものへの赦しと肯定を、
こころのなかに顕す作用があるのだとおもいます。
すべてはそこから産まれ、そこから始まり、そこから立ち上がるのだと。
でもわたしには迷いがあります。
どうしても極限に置かれたときは?の恐怖がこころの道を塞ぐのです。人間の犯す残虐の数々が、受苦の身としてのじぶんとしてイメージされてしまうのです。じぶんに言い聞かせます。だからこそ、じぶんが謙虚さを保てるのだと。
恐怖と迷いをこころのなかに抱えたままで、じぶんとすべてのものへのありがとうを言葉にの実践をしていきます。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
有難うについて、本当に深く考えていらっしゃるのですね。
確かに、ラマ(チベット仏教における僧侶)の話でも聞いたことがありますが、
拷問の時に何が一番怖かったかというと
相手(自分に拷問を実行している人)のことを責める気持ちが出ることだった
(相手の幸せを願う心がなくなること、とかそんな言い方だったかもしれません。)
とおっしゃっていたそうですね。
極限の状態に置かれれば、私は有難うなんて感じられないと思いますが、
それでもいいんじゃないかと思っています。
自分がその程度の人間だということはよく知っています(笑)
でもおっしゃるように、だからこそ謙虚さが保てるのでしょうね。
自分の中には汚い心はもちろんいっぱいあるけれど
それでも有難うと言いながら、今日も笑顔で生きている、
今日も本当に有難いな、という思いの積み重ねが
人生なのかもしれませんね。
とにかく、有難うと感謝の心を感じていることは
本当に気持ちのいいことですからね。
胸の所になんとも言えない深い感じ(感覚)がありますね。
気持ちいいと感じること(to feel good)を選んで行くと
やはり感謝して仲良く、笑顔で穏やかに過ごすことになるのではないかと思います。
神道でも和合の精神というのは大切だそうですね。
私もにしいひであきさんのように
有難うを言葉にすることを実践して行きますね。
今日も有難うございました。
メアリーさん。
ありがとうございます。
衝撃でした。
我が身が拷問を受けているとき最も恐怖したものは、我が身に拷問を行使する相手を責める我が心であったと。
痛みと屈辱と神仏を否定する激情。
私などにはうかがい知ることのできない心身の嵐のなかで、修行者として最後に絞り出した理性であったのか。
心臓を締め付けられるような痛みを感じます。
私が潜在的に感じてしまう恐怖の先に、まだ見ぬ世界が拡がっていることをおぼろげながら感じました。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
本当に、想像を超える心境でしょうね。
相手には相手の立場でそれを行使する理由があるということを
俯瞰的に見えたというような話も含まれていたような気がします。
自分から抜けて、客観的に両方を見ているような感覚でしょうか。
大いなる存在とかSourceの目から見ているのかもしれませんね。
自分の立場も相手の立場も両方がわかると
そんな感覚が生まれるのかもしれませんね。
私には難し過ぎてよくわかりませんが、
ちょっと客観的になることから始めてみようと思います。
いつも有難うございます。
メアリーさん。
ありがとうございます。
わたしたち(この世界に存在するものすべて。)は
みな、おおきな宇宙の理が分かれたものであり、
わたしたちと、おおきな宇宙の理は同一であり、
わたしたちはみな、ひとつの理に帰するものなのだ。
一であり、別である存在としてのわたしたちは、迷い
による痛みや間違いや愚かさを自ら創り出してしまう。
迷いにより、本来一であるものたちが互いに傷つけ
あってしまう。わたしも迷い、あなたも迷う。
わたしが迷いから覚め、真理のうえにたつことができれば、迷いを基としてわたしに残虐を行使する者にさえ、哀しみと、愛のこころが生起するのだ。相手が迷いから覚め、真の道に向かうことを願う心情が顕れるのだ。相手の幸せを願う心情が顕れるのだ。
ラマ僧の心情について、概念としてのわたしなりの理解です。でも、概念を肉体にまで昇華させることは容易ではないと感じます。恐怖の先への道程の険しさを感じます。
にしいひであきさん、ご自分のお考えをシェアして下さってどうも有難うございました。
とても勉強になりました。
いろいろなお考えを聞かせて頂けることは本当に貴重なことです。
心から感謝しています。
私は理屈など難しいことはわかりませんが
すごいことが書かれているのだな~と感じました。
どうぞにしいひであきさんもよりお幸せになって行かれて下さい。
いつも有難うございます。
メアリーさん。
ありがとうございます。
だれかと衝突したとき。
だれかに怒りを感じたとき。
わたしの見る仕方からいちど離れて、
だれかの見る仕方でだれかが行うことをみてみる。
すると、だれかの行いをするときのだれかの気持ちを
イメージできる。すくなくとも、イメージしようとす
る積極的心情がわたしのなかに生起することが促される。
だれかの気持ち。だれかのことを知りたい気持ちが
わたしのなかに芽生えてくる。
状況が転換する。
だれかに対してプラスの心情が湧いてくる。
だれかに対して感じていたわたしの怒り。
わたしと、だれかの衝突。
それらがわたし自身の、失うこと。傷つけられること。損なわれること等を恐れる執着心から産まれていたことを気づく。
ここまでくれば、好転に向かう歩みが始まる。
いま、こんな体験を幾度かする機会に恵まれています。
理想論ではなく、痛みを伴う生の体験は、概念が肉体に
浸透してくることを感覚しています。
にしいひであきさん、素晴らしい体験をシェアして下さって本当に有難うございます。
感服です。
ここまで素晴らしい努力をされている方は珍しいと存じます。
相手の気持ちをイメージしようとする積極的心情が生まれただけで
全く違う世界に移動しますね。
おっしゃるように、相手への反応は
自分自身の中の執着心などから生まれていますよね。
そのようなことに気づくことが「謙虚」という意味なのかもしれません。
にしいひであきさんのような体験を積まれることで
生きる世界が全く変わって来ますね。
本当に素晴らしいご体験をたくさんされていることと存じます。
教えて下さって、本当に有難うございました。
メアリーさん。
ありがとうございます。
だれかが、だれかのことを悪くいっているのを聞くと、
悪くいっているだれかに否があって、いわれているだれかは是だと感じてしまう。
わたしの偏った先入観。
ニュートラルにみてみると、確かに悪くいわれているだれかにはいわれるだけの理由や問題があったりする。
でもそこから掘り下げてみてみると。
悪くいわれているだれかの理由や問題って、
悪くいっているだれかや、それをみているわたしのこだわりや、我を張るところから創られていたりする。
べきとか、ねばならないとか、普通は。とか。
こんなふうにみていくと、
存外容易に改善の糸口がみえてきそう?
いやいや、そうは問屋が卸さない。
ここから先こそ、長く険しい道が続いていることを感じます。
にしいひであきさん、いつも有難うございます。
日常生活の中で、いろいろなことが起こりますが、
ご自分の体験の中で感じられたことをシェアして下さって有難うございます。
人と人の間で生きているのが人間ですが、
確かにいろいろなことが起こって来ますね。
でもおっしゃるように、その中でこそ学ぶことや
体験できることが多いのだと思います。
先入観、こだわり、我を張るなど、
たくさんの概念を経験できますね。
悪口、愚痴、文句、不平、不満などを言わないというのは
意外に実行するのが難しいことですね。
でもそれができるとと、確実に幸せになるそうですね。
また、人の悪口を聞いたときも、
客観的に見られる自分というか
入り込まないで、離れて見られる自分でいたいですね。
にしいひであきさんは、それができられるからこそ
コメントに書かれているのような感じ方をすることが
できられているのだと思います。
今回も大変有難うございました。
楽しい週末をお過ごし下さい。
こんばんは〜、以前エイブラハムのことでここに辿り着いたように思います。
読んでいてとても心地よい感じがしました。
今日は久しぶりに来ました。
素晴らしい内容だけじゃなくて「私がしのごの言わなくても皆それぞれに色んなことを感じたよね」というスタンスの、しかも優しく暖かい柔らかい感じがさらに素敵でした。
ながらうたさん、こんばんは!
以前にエイブラハムのことも読んで下さったのですね。
また来て下さって有難うございます。
私は翻訳しているだけなので、
内容について、何か言う立場ではないのですよね。
その割にはいろいろ自分なりに解説してる記事もありますけど・・・
ただ直訳しただけではわかりにくい場合は
もう少し内容を膨らませて説明したりもしています。
ながらうたさん、また気が向いたら遊びに来て下さい。
何かに感動して、心をリフレッシュするのいいですよね。
私もこういう記事を読み返して
何度も何度も心を洗って、また体当たりして来ます!
(一体何に体当たりするのか知りませんが・・・^_^;)
コメント下さって本当に有難うございました!
あら、返信ありがとうございます〜
説明や感想もとてもよかったですよ、型にはまらず素朴で自然な感じが快いです
また読みにくるのを楽しみにします
ここのところDaniel Scrantonのチャネリングを見てますが、知ってますか?
もしも知っていてさらに気が向いたらメアリーさんの訳や感想、説明を読んでみたい気がします
もしも記事の内容をどこかでシェアする時に快い作法はありますか?
ながらうたさん、またお返事有難うございます。
優しい御言葉に感謝します。
感じたままを書いて下さってとてもうれしいです。
有難うございました。
Daniel Scrantonさんのご紹介有難うございます。
DanielさんのチャネリングをYouTubeで初めて見ました。
ながらうたさんのお勧めでなかったら
あやしいと思って見るのをやめたかもしれません(笑)
トランス状態になるまでのチャンネル合わせの部分に
独特なものがありますね。
いろんなチャネリングの仕方があるんだな~と知識が広がりました。
シャーマンみたいですね。
メッセージの内容は本当に美しくて、心打たれる内容ですね!!
Daniel ScrantonさんのYouTubeのいいところは
チャネリングされた内容が、文字で全て掲載されているところです。
下の説明欄を読めば、YouTubeを全部見なくても内容がわかりますね。
話し方もゆっくりなので、耳からでもわかりやすいと思います。
なので、私が訳す必要もないかなと。
コメントに日本語もあるので、日本人でも見ている方が多いのだな~と思いました。
記事の内容をシェアするのは、ご自由にどうぞ。
べつに私にお知らせ頂かなくとも、シェアして頂けたらうれしいです。
もちろんお知らせ頂かないと私は知らないので
御礼を申し上げることもできませんが
それでも良ければご自由にどうぞ。
ながらうたさん、いろいろと有難うございます。
これからもよろしくお願い致します。
メアリーさん。
愛ってなに?
なんだかわからないけど、
そのひとの幸せを願ってしまう気持ち。
自分にとって嫌な奴なのに。
その人を好きになってしまう気持ち。
愛ってなに?
いつもそこにいて、
そこにある。
だれかを好きになってしまう気持ち。
にしいひであきさん、こちらにもコメントを有難うございます。
なんだかとってもいい詩ですね。
人間の温かさを語っているような詩だと思います。
理屈じゃない、人間の温かい心ですね。
こういうぬくもりをシェアして下さって本当に有難うございます。