正しい道はいくつあるのか?道の終わりには何があるのか?
エイブラハムの言葉より:
「だから真実は、一つの道があるわけではないということ。
真実は、ただ一つの正しい道があるわけではないということ。
真実は、全ての道は正しい道に創り上げることができるということ。
真実は、個人がそれぞれ違う道を持っているということ。
そして、一人一人がどんどん生み出しているその違う道
—そして個人が常に修正し続けているその道—
その真の道のことをSourceは知っており
あなたが自分のフィーリング(=どのように感じるか)ということに注意を払っていれば
Sourceにその道を案内されているということになる。」
So, the truth is, there’s not one path. The truth is, there’s not only one right path.
The truth is, all paths can be made to be the right path. The truth is, that every individual has a different path.
And that different path that every individual is launching incrementally—and amending constantly—
that true path is known by Source and is guided by Source if you will pay attention to the way you feel.
私達はただ一つの正しい道を探そうと模索しているかもしれないし
ある人の歩んでいる道は正しくないと思っているかもしれないし
皆が同じ正しい道を歩んでいると思っているかもしれないけれど
エイブラハムによると個人は皆それぞれ違う道を歩んでいて
そのどの道をも正しいものとすることができると言っていますね。
ということは、間違った道というものはなくて
そのどれをも正しく創り上げる力を私達は持っているということですね。
私達は常に新しい道を生み出し
それをどこまで行っても修正するということを続けているから
道には終わりはないですね。
道というと一つの定められたもののような印象を受けますが
誰もが常にそれを修正しながら新しい道を創り出しているのだから
今後修正もされない定められた道というのはないのですね。
道って流動的なものだったんですね。
どの道が正しいかということを議論しても意味がなく
人の数だけ違う道があるのだとわかれば
自分の道をどう創り上げて行くかだけに集中しますよね。
そして自分がどう感じるかという感情を指針に進んで行けば
Sourceに道案内をしてもらっているということになるのですね。
私達の道に終わりはないということについて、エイブラハムは次のように言っています。
「この全ては何のためなのか。何かをやり遂げるため?違う!
なぜならあなたは何かをして、また元通りにして
またやって、また元に戻して、またやって、また元通りにして・・・
これら全てには何の意味があるのか。
意味は、途中のプロセスを行う際の感動(鳥肌感・ワクワク感)にある。
肉体を持った人間のマインドは「私達は何か終点に向かって進んで行かなければならない。」
というふうに考え続ける。
そしてあなた達は、全ての人がどの終点に向かって進んで行くことが適切なのかを決めようとして
何百万という人を殺し合っている。
私達はこのように言う:さあ、そこにあなた達の間違った、欠陥のある前提がある。
あなた達が向かって行く終点というものはない。
私達は皆、喜びに溢れた変化(=何かになり続けること)の永遠のサイクルの中にいる。
私達は決してやり遂げることはない、決して、決して、決して、決して。」
What is it all about? To get things done? No!
Because you do them, and you undo them, and you do them, and you undo them,
and you do them, and you undo them…
What is the point in all of it? It is the thrill of the process along the way.
Physical human minds keeps thinking, “We have to be going towards some end.”
And you kill each other by the millions
trying to decide what is the appropriate end that you are all going toward.
And we say: well, there’s your flawed premise. Because there is no end that you’re going toward.
We are all on a perpetual cycle of joyous becoming. We will never get it done, ever, ever, ever, ever.
私達は何かをやり遂げて終わりにするために生きているのではなくて
何かになるときの変化の過程を楽しむために生きているのですね。
何かになるときのプロセスがゾクゾクワクワクして感動するからこそ
何度もその体験をしたいと思うのですね。
もちろん同じ体験というものはないですけどね。
それに、一度なったものにもうならないということはできないから
常に新しい所へと進んでいますけどね。
とにかく、プロセス(動き・変化)には喜びが伴うものだからこそ
「人生は楽しいものであるはずだ。」
とエイブラハムがいつも言っているのですね。
そして私達が何かを終わらせるということは永遠になくて
エイブラハムもこの記事の最初に言っているように
私達は常に自分の道を修正しながら進んでいるのだから
幸せのレベルにも永遠に終わりはないのですね。
永遠にもっと幸せになり続けることができるのですね。
楽しみや幸せが終わる心配をしなくていいのですね。
そんなの当たり前だってバシャールとかには言われそうですが・・・(⌒-⌒; )
以下の記事も今回のテーマと大変関連性がありますので
ぜひ読んでみて下さい。
最後になりましたが、本年も大変お世話になりました。
本当に有難うございました。
心から感謝しています。
来年も皆様に更なるお幸せが降り注いで行くことをお祈りしています。
また更に素晴らしい1年になることをお祈りしています。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
本当に有難うございました。
(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)
メアリーさん
7時更新だったんですね!
今月ははりきり過ぎました(⌒-⌒; )
最近、仕事が忙しくて、
ふと、私何やってんだろう、、、
このままでいいのかなーと
思っていた矢先だったので、
なんだかタイムリーな内容でした。
いつも本当にありがとうございます。
今年もたくさん気づきをいただきました。
(>人<;)
来年も楽しみにしています。
では素晴らしい年末年始を(≧∇≦)
感謝と愛を込めて
ゆみこさん、こちらこそ今年も一年有難うございました。
お仕事お忙しいんですね〜
日本人はよく働くと思います。
どうぞ健康第一でやって下さい。
そう言っている私も、大切に健康を育んで行きたいです。
体を大事にするってなんかいい言葉ですね。
その言葉を聞くだけで感動するというか、暖かい愛を感じるというか・・・
12月はクリスマスでウキウキする月ですね〜
意味もないのにうれしくなったり、踊りたくなったり、
とても喜びの気持ちが出やすい時期だと感じています。
もちろん羽目を外すとかそういうのではなくて
笑顔や感謝がどんどん出て来るひとときが多いですね〜
有難くて、皆がアライメントの状態になりやすい時期ですね。
お互いに素晴らしい年末年始を迎えましょう。
いつも本当に有難うございます。
メアリーさん、こんにちわ。
今年も本当に素晴らしい内容を提供して下さって本当に感謝しています。
今月も良い内容ですね。
メアリーさんの訳も解説も心にしっくりときます。
今年はメアリーさんにとってどのような一年でしたか?
私はクリスマスのこの次期に男性が恥ずかしそうに誰かの為にプレゼントを購入している姿を見るのが好きです。
あと、沢山のプレゼントを持って家路に向かうサラリーマンを見るのも好きですね~(^^♪
今月の投稿で一番好きなのは:
『そして自分がどう感じるかという感情を指針に進んで行けばSourceに道案内をしてもらっているということになるのですね。』
自分、ひたすら自分ですね。
日々凝り固まった古~い思考癖を手放す訓練中です。
メアリーさん、本年も大変お世話になりました。
素敵なクリスマスとお正月をお過ごしくださいね。
エイヴリィさん、こちらのほうが大変お世話になりました。
今年も一年本当に有難うございました。
エイヴリィさんの毎回のコメントに大変励まされています。
いつも本当に有難うございます。
今年は変化も多い年でした。
新しい方にもたくさん出会って、とても勉強させて頂きました。
振り返ってみると、その時にはその状況が最高だと思えるほど良いことがあり、
自分は本当に恵まれている、自分は本当に幸運だ、これ以上の良い状況はないと
本当にそう思っていたのですが
次にそれ以上に良いことが起こって来たりして、とても驚かされる一年でした。
そうすると、ああ、そう言えばあのときよりもこの部分が改善されている
と思うような状況の中にいることができています。
そのときの状況が最高だと感謝すると
更にいいことが起こって来るというのは本当だと思いました。
でも、そう思おうとしたのではなくて
本当にそのときはそれが最高の状況で、こんなにラッキーなことはありえない、
自分は本当に恵まれているな〜と思っていました。
今年は、自分の性格の悪い面もよくわかって、その改善にも取り組んだ年でした。
まだまだ途中ですが、少しずつ変えて行くことで
こんなに幸せな気持ちになって行けるものなのだな〜と感じさせて頂いています。
来年は飛躍の年になるといいなと思ったりしています。
まだまだこれから!と思っています。
誰でも本当にまだまだこれからですよね。
エイヴリィさんも素敵な年末年始をお過ごし下さいね!
いつも本当に有難うございます!
こんにちは。今月も素敵な記事ありがとうございます。
結果ではなく、プロセスを楽しむこと。これは私にとっての重要ポイントです。
以前もコントラストのところでも書かせていただきましたが、ちょっとした困難があるとついつい現状に目が向きがち。コントラストも含めてプロセスを楽しめるようになれば、こっちのものですね!
そして、30数年生きてきましたが、大変なこともいろいろあったけれど、なんだかんだ言ってなんとかなってきたなって思います。 そう考えると、あまり力みすぎず執着しすぎず、楽しく人生いきたいなって思います。
メアリーさんのブログに出会ってまもないですが、出会えてとってもよかったです。
ありがとうございます。
また来年もよろしくお願い致します♡
楽しいクリスマス&年末年始をお過ごしください(^^♪
たえこさん、またコメント有難うございます。
私もコントラストありまくりですが、(えっ?私もじゃなくて私だけだった?・・・)
こんなに難しいコントラストを生まれる前に選ぶなんて私って偉い!なんて思ってみたり
こんなに難しいからきっとやり甲斐があるに違いない!
Sourceの見方で見ると、この難しいのをやるのが楽しいに違いない!
とか毎日いろいろ思っています。
そう言えば、ピコ太郎さんが言っていた
「頑張っているという段階でもうそれが結果ですから。
「頑張った」という結果ですから。」というような趣旨の言葉は
すごく意味があると思います。
プロセスに意味がある、頑張った、頑張っているというプロセスに意味がある
ということをおっしゃっているのだと思います。
だから、できてもできなくても、それは実はどうでもいいのかもしれません。
もう「やっている」ということ自体が結果なんですよね。
そして、できるようになるときを目指して頑張ること、
その頑張っている過程に意味を見出すような考え方
というのに意味がありますよね。
そうすると、毎日がとても意味あるものになりますよね。
「今日もできなかった。でもこんなに難しいからやっている意味をすごく感じる。」
と思って、また次の日も同じことを思うという結果でもいいんですよね。
やっている過程に意味とかやり甲斐があるんですもんね。
一応ピコ太郎さんのその動画をここに記しておきますね。
頑張っておけば、結果が一気についてくる