やる気を出すには?やりたくない事をやらなくて済む方法
エイブラハムの言葉より:
「人間の自然な喜びに満ちた願望であれば
あなたが望むことはどんなことでも
宇宙はそれを実現させる方法を見つけることができる。
この宇宙は喜びをベース(基盤)としてできているから必ずそうなる。
よって、次のようなことが言える。
子供達が泥の中で遊び、それを大変楽しんでいるのをあなたが見たとき
あなた自身は泥の中で遊ぶことを楽しまないかもしれない。
しかし、子供達はそれを楽しむ。
つまり、あなたがやりたくないことを楽しんでいる人はいる。
このようなことは、全てのことについて言える。
あなたがやりたくない全てのことを
他の誰かは楽しんで行うということはある。
もし本当に、あることをやりたい人が一人もいなくなった場合は
あなた達はそれに対して違う方法でアプローチすることを開発する。
あなた達の歴史を見ても、あなた達が今ではもう
参加しなくなったこと(やらなくなったこと)がたくさんある。
誰もやりたい人がいないから
あなた達はそれを過去のものとして置いて来たのである。」
Anything you desire, the Universe can find a way to let it happen
within the context of people’s natural, joyful desires.
It must be, for this is a joy-based Universe.
And so, as you watch children playing in the mud and having great joy in it,
you might not enjoy playing in the mud, but they do.
And so, there’s somebody enjoying doing something you don’t want to do.
And that pretty much applies to everything.
There’s someone who would enjoy doing every thing that you don’t want to do.
And if it really came down to where there was really not one person willing to do that thing,
you would develop another way of approaching it.
There are a lot of things that were in your history that you no longer participate in.
You left them behind because no one wanted to do them.
これは様々なことについて言えると思います。
エイブラハムが例として出しているように
年齢によっても楽しむことというのは違いますね。
幼稚園のときには積み木で遊ぶことを楽しんだけれども
大学生になってもまだ積み木で遊ぶことだけで満足するということは
普通はないですよね。
そして、大学生のときにはディスコパーティを楽しんだかもしれないけれど
年齢を重ねるにつれて違うことに興味が移ったりしますよね。
性格・生い立ち・立場・年齢・性別・
文化・育った環境や今いる環境などによっても
他人と自分が楽しむ内容が違うことはよくありますね。
「なんであんなことが楽しいのかわからない。」と自分は思っても
相手にとっては本当に楽しいことってありますよね。
それに、歴史を見てもわかるそうですが
以前は戦争をしたいと思ってそれを実行した国の人々も
今はそれをしたいとは思っていないし
以前は川で洗濯板を使って洗濯していた主婦も
もっとこれを楽に行う方法があったらいいのに・・・
と願ったからこそ、新しい方法が開発されたのですね。
もう喧嘩をしたくないと思えば、違う方法でアプローチする方法を考え出すし
もう誰も東海道五十三次を何日もかかって歩いて旅したくないと思えば
電車や車を開発するということになるのですね。
この話は、宇宙(Source)に願望のロケットを飛ばして
その後、幸せな気分で人生を過ごしているとそれが叶う
という内容に似ています。
しかし、今回のエイブラハムの説明は
それをやりたい人が一人もいなくなれば
自然にその方法はなくなって行って
他の方法に取って代わられるということですね。
そして、更にエイブラハムが言っていたのですが
例えば、掃除や子供の面倒などをいやいやではなくて
喜んで感謝して行っていくと
掃除をしなくてもいい状況になって行ったり
「あなたの子供を1日家で預からせて。うちの子と遊んでほしいから。」
というようなことを言ってくれる人が出て来るそうです。
そのときの心境というのは
「えっ?いや、べつにいやじゃないから私がやってもいいのよ。
でもじゃあ、お言葉に甘えて。」
という感じなのだそうです。
それを喜んでやっているからやっても全く構わないのに
なぜかそれをしなくてよくなり
違う方法での喜びがやって来るそうですね。
このように、もうそれをやりたくないから
自分の選択でやらなくなるということもあるし
最初はしたくなかったことを喜んで感謝してやって行くと
もうそれをしなくてよい状況が来たりするそうですね。
これを聞いてからは私は掃除を喜んでやるようにしました。(^^♪
心理学では作業興奮という言葉があるそうで
最初はそんなにやる気がしなくても
作業に取りかかるとどんどんやりたくなって行き
結局はその作業をもっと先へと進めて行きたい気分になるそうですね。
取りかかるまでは億劫でも
やり始めるともっとやりたい、全部やってしまいたい
という気になった経験は、誰でもあるのではないでしょうか。
人間の脳はそういう仕組みにできているそうで
科学的にも証明されているのですね。
世界中の人が自分の役割を
やる気を持って、楽しく進めて行けるといいですね!
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(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)
メアリーさん新年…もう2月だから笑 新らしい日おめでとうございますっていう感じで 笑
たぶんjって名前のわたしだったはず。
エイブラハムを知ってから、わたしの一番の謎は「努力」や「根性」論でしたけど、
「痛みや悲しみに抵抗し、それを超えた先に夢がある」的な…
わたしは痛みとか悲しみに遭遇すると無気力になるんですが(昔はそれでも進もうとしてました…結果は言わずもがな)
テレビとかネットとか拝見してると、ほんとたくさんのいろんな人がすごい(*’▽’)
ここが全く理解できなくて、毎日毎日謎でしたが、
もうどうやら、なにかをやる理由は様々なようで、
体が痛くても成功したいという人もいるでしょうし、
辛くても誰かや世の中に認められたいという人もいるでしょうし、
で、たぶん、
それは言葉にすると「抵抗」とか「超える」になったりするけど、
「痛み」よりも「成功(自分の願望)」にフォーカスがあって、
「辛さ」よりも「承認欲求(自分の願望)」にフォーカスがあって、
というもっと自然なことなのかもしれないなぁ~
なんて、やっぱり他人のことにそこまで興味がないですね 笑
感謝と喜びか~ 感謝と喜びな~
がんばってやろうとしたけどな~
自分の負の感情がすごくて、できたことがない 笑
努力してもそれだったから、というか、
そういう感情のバランスを思考でとる、ということがうまくいかなくても
少しづつはどういうわけかよくなってはいるので、
いつか自然にできるようになるだろう、と今日も明日に投げます☆
エイブラハムの瞑想のフレーズにたぶん
「appreciation gives you ease」っていうところがあって、
それが最近引っかかっていまして。
感謝はいいっていうので、
「ありがとう(it is too difficult to be とかちょっと考えちゃう笑)」や感謝を実践してきたのですが、
なんかそのワードを使うときに一瞬自分の表情が申し訳なさそうになることに気づいて。
「今日を限りの命かもしれないから、あなたに会えてありがとう」
「明日あなたがいなくなるかもしれないから、今日のあなたにありがとう」
どうもそういう経験がわたしのありがとうにはついているようで。
エイブラハムのappreciationは空気みたいな感覚がするんです。
なんだかよくわかりませんが、最近は疲れてしまって、
出来事も自分のリアクションや感情も起こることは起こることで、
ときめかない、はねない、そこからどっかにもってこうとしない
みたいな感じですね 笑
今日も長文ごめんなさい 笑
そしてメアリーさん今日も先月もありがとうございます☆
jさん、お久し振りです。
こちらこそ今年もよろしくお願い致します。
jさんっていろんなことを考えていらしてすごいですね。
私はいつもjさんの半分も考えずに生きていると思います。
そんなに理論づけて考えていないというか、なんなんでしょうね~
自分は頭が悪いのかもしれないと思いました(笑)
でも、感謝とか喜びとか感情なので
なんか目を閉じて、有難いな~とか嬉しいな~とか感じているだけです。
あの感覚はそれ自体が幸せですね。
でもその感覚を得るために
感謝できることを丁寧に見つけるという”努力”はするのかもしれないですね。
まあ、よくわからないです(笑)
肩の力を抜いて、人生疲れないようにやって行きたいと思います。
楽しむっていうスタンスでいられるといいですよね。
なんか自分から抜けて第三者的な立場で見ると
そんなに自分の立場にのまれなくなるのかなと思ったりします。
私はつい真剣に考えて「楽しむって何!?」とか
「楽しむとどんないいことが起こるの??」とか言いそうですが
楽しむことのエキスパートの子供という存在には
「そんな質問が出ること自体、意味わかんない」という顔をされるのでしょう。
子供って可愛いですね。
でも、大人も子供を見て笑ってて可愛いですよね。
結論はありません。
あー、楽しかったっw
何の役にも立たないコメントでしたが・・・
jさんもお元気でお過ごし下さいね。
本当にいつも有難うございます。
メア。。リーさん、こんにちわ!!
そうですね~。。。
毎朝、起きたくないし、だらだらしたい(笑)
仕事行きたくないけど、始まったら、集中してる・・・(笑)
料理はしない(笑)
大人になると、純粋さが本当に何処かへ行ってしまいますね。。
だから、赤ちゃん・幼児をみると微笑ましくなるんだと思います。
純粋に何かに集中したり、楽しめたり・・・
大人になるのって大事な何かをどこかに忘れてしまうことなのかな。。
奥深い投稿内容ですね。。
あんまり、しんみりしても何なので(笑)、ドロンします(^^;
今月も素敵な投稿、ありがとうございます。
エイヴリィさん、いつも有難うございます。
毎月お元気なことがわかるのが嬉しいです。
もう毎月の記事とこのコメント欄がお互いの生存確認手段になってますね(笑)
毎月何事もなく健康に生きていられることは普通ではありませんよね。
それだけでも奇跡の集合体ですよね。
エイヴリィさんが今月おっしゃっているような毎日の感情も
味わえるだけでも有難いことですよね。
生きてる~ぅって感じがしますね。
毎月大したことは書けませんが
まあ、書けたということだけで、私にはすごいことです。
いつも応援して下さって有難うございます。
エイヴリィさんに依存しないように気をつけます(笑)
本当にいつも有難うございます。
「感謝できることを丁寧に見つける」って好きです☆
わたしはどうやら考えることが自然なことみたいです
コメントしてからずっと自分でしたコメントについてあーだこーだと考えてましたもの 笑
止まらないんですよね
でも自分で「やってる」っていう感覚はなくて、
次々に引き寄せの法則で運ばれてくる思考かなにかの糸をたどっているような感じで。
もちろん感情に気を配りながら(^_-)-☆
また長くなりますがごめんなさい 笑
あの、自己表現したいだけなので、させてください 笑
わたしは子供のころは大きなことじゃないとわからなかったんです。
イエスとノーの中間とか白と黒の間の灰色とか
そういうことはわからなくて、
だから「結局それどっちなん?はっきりしておくれ!」みたいな。
それが、今までに時間というか、
経験をたくさんたくさんさせていただいて、
イエスとノーの間(はたまたイエスとノーの外側)にその経験のひとつひとつが入ってきたんです。
そうして自分で経験させてもらって、0と100の間には1から99があったり、
1と2の間には1.01~1.999・・・までがあったり
なんなら、1と2の間に3や4や10とか100があってもいいんじゃないか
1と2の間に-9や-1億があってもいいんじゃないか
って、
そういう思考をみることがなんかできるように自然になって、
だから、子供のころは大きな夢を叶えなくちゃ自分のことは感じられないと思っていたのですが、
だから、とにかく大きな夢をはやく叶えるために生きなくてはとがんばってたのですが、
今は自由です。
ただ明日が来て、今日を生きるということの中に
わたしの今日を誰も知らなくても、
そのわたしの今日に大きな変化を見ていいんだなぁって。
明日がマイナスでも、停滞しているように思っても、同じように見えても
自分のことを愛していいんだなぁって。
おもしろいのですが、わたしが自分の子ども時代と今といちばん変わったなって思うところは
わたしはわたしのことが好きになったな
ってところですかね 笑
メアリーさんいつもこういう機会や場をありがとうございます。
(ありがとうと言うと申し訳ないような表情になるとか書いたのですが、
たまにそうなときがあるくらいでした 笑)
人生はおもしろいですね♪
お返事どうもありがとうございました(*’▽’)ノHAPPY☆
jさん、いつも有難うございます。
こんな場でよければ、どんどん書き込んで、お話聞かせて下さい。
そうやってご利用頂けると私も嬉しいです。
人に話を聞いてもらえると嬉しいですから
そんな場として使って頂けると本当に有難いです。
それにそれを読ませて頂いて、こちらもいろんな刺激を頂けますから
他の人の思っていらっしゃることをシェアして頂けるのは有難いことです。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
以下の部分、とっても共感しました。
「ただ明日が来て、今日を生きるということの中に
わたしの今日を誰も知らなくても、
そのわたしの今日に大きな変化を見ていいんだなぁって。
明日がマイナスでも、停滞しているように思っても、同じように見えても
自分のことを愛していいんだなぁって。」
私もそう思ってやって行きますね!
メアリーさん 久しぶりにブログを見てコメントします。今は、別の国に駐在となりました。日本にいるときはこのブログをみていなかったのですが、海外にいると、暇だからですか、つい見てしまいます。『あなたがやりたくない全てのことを他の誰かは楽しんで行うということはある。』これは、以前エイブラハムの本を読んで実際に自分も試してみたことがあります。誰もやりたがらない仕事があって、どうしても好きになれないことがありました。エイブラハムの本には、Your universal managerが自分の替わりに全部言うことを聞いて、全部のそのマネージャーがやってくれると想像すると書かれていて、夜中、そんなことを想像してみたことがあります。今思い起こしてみると、その嫌な仕事は結局、周りの人がいろいろと助けてくれて、解決に辿りついています。「嫌いなこと」は、本当は自分でやってみたい仕事だったんだけれども、自分一人ではできないので、自分が予想しない形で実現したかったことだんだなと、振り返って思います。
何でも言うことを聞いてくれる、自分よりも優秀な人間が自分のそばにいて、常に助けてくれる、最高の環境ですよね。そんなことを想像すると、自分の気持ちがとても楽になって、また新たな自がのやりたいことが見えてきます。
Omarhiさん、本当にお久し振りです!
オマリさんですよね。よく覚えています!
2015年~2017年くらいによくコメント下さっていましたよね。
あんな頃からよく覚えていて下さいましたね。
本当に有難うございます。
また海外に駐在になられたのですね。
その前も5年くらい海外駐在されていましたよね。
国際的なお仕事をされているのですね。
お仕事に励んでいらっしゃって、本当に素晴らしいですね。
これからも大活躍されることをお祈りしています。
全てを私達の想像を超えたレベルでアレンジしてくれるマネージャーがいるから
自分は感情豊かに過ごすことのみ考えていればいいというのは
おっしゃる通り、最高の環境ですね。
「何でも言うことを聞いてくれる、自分よりも優秀な人間が自分のそばにいて、常に助けてくれる」
というお言葉を聞いて、私もとても楽な気持ちになりました。
「また新たなご自分のやりたいことが見えてきます」とおっしゃっていますが、
そのような前向きな姿勢でいらして、素晴らしいとしか言いようがないです。
常に前向きで、何だかウキウキして、何かいいことが起こる予感を抱きつつ
生きていられるのは幸せなことですよね。
理由もなく何かとても嬉しい気持ちでいられるのは
本当に幸せですよね。
エイブラハムはそれが自然な状態で
そうでないほうが自然ではないと言っているのがいいですね。
自分にとって何が普通の状態なのかを変えて行くのもおもしろいですよね。
Omarhiさん、本当に素晴らしい再会でした。
どうぞお体に気をつけて、これからもどんどんご活躍下さい。
有難うございました。
メアリーさん、お返事ありがとうございます。月日が経つのは早いですね。前回の駐在からもう10年が経過しているのですね。コロナ禍でしばらく日本にいたのですが、今年から新天地で新たな挑戦となりました。ただ、今回の駐在も引き寄せの法則を意図的に実践してみた結果です。少し時間がかかったけど。今は。引き寄せてはみたけど、次は何をしようかなと考えているところです。10年前の自分と今の自分は当然違うわけす。経験や肩書が増えたのですが、同時に少し体力が落ちている、人生に対する新鮮な感覚を忘れている、などなど。もう職場の人たちは私より若い人大勢となっています。「常に前向きで、何だかウキウキして、何かいいことが起こる予感を抱きつつ生きていられるのは幸せなことですよね。」はい、確かにその通りです。ただ、そのウキウキは時間が経過すると忘れてしまいがちです。渡航した最初の10日間は毎日新鮮でしたが、1か月が経過した今は、そこまで感動はしない。贅沢ですね。
ただこのように思うのはこれが人間の本能だからだと思います。エイブラハムがいつも言ってるようにInner being は全てを理解していて、常に前向きでいられるように、Inner being(本当の自分) と表面的な自分との乖離を「感情」というもので本当の自分が常に自分に教えてくれていると。(自分、多いな。。)
エイブラハムが言っていることが正しいとすると、少しマンネリを感じている自分に対して、Inner beingがウキウキを感じない自分とのギャップを「不安」や「いらいら」という形で教えてくれている。もっと自分がやりたいことにフォーカスすれば、ウキウキが戻ってくると教えてくれているのだと思います。
こうやって言葉にすると、少し自分の気持ちが整理できた気がします。
メアリーさん、いつもありがとうございます。
Omarhiさん、またコメントを有難うございます。
10年なんてあっという間ですね。
ウキウキっていつも感じていなくていいとエイブラハムもバシャールも言っていますね。
ピークの感情をいつも感じている必要はないし
もしそうだったらそれはもうピークではないそうですね。
だから以前はウキウキだったことが今は違うというのは当然のことだと思います。
『絶好調の経験を再び創造する必要はない』
エイブラハムもバシャールも言っていましたが
何かがおもしろいとか、穏やかな気持ちとか
そういうのでも、十分前に進んでいる感情だそうですね。
何かとても満たされて、平和で、もうこのままで何もいらない…
と思う気持ちもウキウキに劣らぬ素晴らしい気持ちだと私は思っています。
もう何もいらないと満たされている気持ちは
実はもっと何かをもたらす気持ちですよね。
あるいは「なるようにしかならないのだから何も心配しなくていい、
~できなかったらどうしようと思っても、それはもう決まっていることだから
出来レースを楽しむのもいいな。」って思う気持ちもいいのかもしれませんね。
言葉はどんなものであれ、何かに執着せずに
来るものをそのまま受け入れて、それを楽しもう、心配する必要はない
というような気持ちもいいのかもしれませんね。
そういう穏やかな気持ちとやる気とが混ざった進み方もいいのかもしれませんね。
毎日いろんなことが頭に思い浮かびますが
それも学びで楽しいですね。
起こること全てには意味があるのだから
文句を言わずにそのいい面を見て行く訓練をしたいと思っています。
これ楽しいのでやってみますね。
何だか素晴らしいインスピレーションを有難うございました