本当の自分を知り真の自由を見つける方法
エイブラハムの言葉より:
「もしもあなたが
他人があなたのことをどう感じているか
ということについての心配を全て手放し
あなたがその相手のことをどう感じているかだけに
フォーカスしたならば
あなたは本当の自分についての核心的な理解を
明確に得るであろう。
そして真の自由とは本当に何なのかを発見するだろう。」
人が自分のことをどう思っているかは
全く考えなくてよくて
自分が相手のことをどう思うかだけを
美しく保つことに専念すれば
本当の自分の姿がわかるということですね。
そして真の自由とは何かが
本当にわかるのよね。
以前ダライ・ラマの下の僧侶達が
投獄されて拷問にあっていたときに
その僧侶達が心配したことは
次の一つのことだけだったそうです。
拷問をしている人に対して
責める気持ちを持ってしまうのでは
そして自分を痛めつける人に対して
思いやりの心をなくしてしまうのではと。
そういう相手の立場を理解できなくなるような
自分になるのが一番怖かったそうです。
すごい話だね~
自分が相手をどう思うかだけに
ここまでフォーカスできる人って
そうはいないよね。
でもそんなふうに
どんな相手の立場をも理解できて
どんな人にも人間愛を感じられる僧侶こそ
投獄されても
痛めつけられても
体の自由を奪われても
実は真の自由を知っている人なのよね。
私はこの僧侶達とは比べ物にならないぐらい
簡単な人間関係の中に住んでいるんだから
もうちょっと頑張らないとね。(^^;)
それに人は他人の中に自分を見るから
相手をどう思うかは
その見ている人次第なのよね。
敵対心の強い人は
敵対心がない相手にも
敵対心を見るからね。
思い込みっていうのかなあ。
自分の世界の常識でしか
相手を見ることはできないからね。
自分の知らない考え方で
ものを考えるというのは無理だもんね。
誰でも自分の知っていることを使って
目の前のことを分析するからね。
だから相手が自分をどう見るかは
お相手様の自由だし
でもこちらがその相手をどう見るかは
自分だけにかかっているのよね。
ちょっとロマンチックに言えば
どんな人の中にも
美しい魂の光を見ることができますか
ってことよね。
その人の本当の姿を
見ることができますかっていうことよね。
本当に自由になるって
そういうことだったんだね~
やっぱり全部自分なのね。 😉
関連記事もどうぞ。
『他人をコントロールしようと思わなくなるまで自由になれない』
(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)
今日は
自分が相手のことをどう思うか?
だけを美しく保つ事に専念する・・・
そうですよね〜
今まで、人の顔色を伺いすぎたりしていました。
大事な事にまたまた気づきました〜
ありがとうございます
こんにちは、花子さん。
いつもフィードバックを有難うございます。
人の顔色を伺うというか
お人様のことを思いやるやさしい気持ちや
他人の幸せを願う気持ちや
真心の気遣いは素晴らしいと思うんです。
でもお相手が自分のことをどう思うかは
お相手様におまかせですよね。
もちろんお相手に対する感情は
100%自分に責任がありますけどね。
(なんかえらっそうに言ってますが
書いてる私が全然できてないので頑張ります。^^;)
それについての関連記事も良かったらどうぞ。
『他人をコントロールしようと思わなくなるまで自由になれない』
(2014年8月30日投稿)