今を生きるとはどういうこと?
エイブラハムの言葉より:
「ある時(瞬間、ひとときなど)から
何か気分の良いもの、何か感謝するもの、何か味わうもの、何か会得するもの
を掘り出すために、時というものは存在している。
それは、あなたの存在を正当化するためにあるのではない。
それについては(既に)正当化されている。あなたは存在する。
それ(=時というもの)は、あなたの価値を証明するためにあるのではない。
それは既に証明されている。あなたには価値がある。
それ(=時というもの)は、成功に到達するためにあるのではない。
あなたは決してやり終えるということはない。
大切なのは「この時がどれだけのものを自分に届けることができるだろうか?」
ということだ。
そして、その速度が速いことを好む人もいれば、ゆっくりなことを好む人もいる。
誰も点数など付けていない(誰もその速度を計ってなどいない)。
(速度については)あなたが選択できるのだ。
たった一つの計り(目安)というのは
自分の願望と許容するという行為との間の距離(ギャップ)だけである。
それについては、全てあなたの感情が教えてくれる。」
Mining the moment for something that feels good,
something to appreciate, something to savor, something to take in,
that’s what your moments are about.
They’re not about justifying your existence. It’s justified. You exist.
It’s not about proving your worthiness. It’s done. You’re worthy.
It’s not about achieving success. You never get it done.
It’s about “How much can this moment deliver to me?”
And some of you like them fast, some of you like them slow.
No one’s taking score. You get to choose.
The only measurement is between my desire and my allowing.
And your emotions tell you everything about that.
「今を生きる」という言葉をよく耳にしますが
私はそれが一体どういう意味なのか、今まであまりわかりませんでした。
今を生きるということは、過去にとらわれないということや
他のことを考えて目の前の人や出来事などを
粗末にするようなことをしない
という意味なのかな~とは思っていました。
でも、どうして今を生きることが
そんなに大切なのかはよくわかりませんでした。
今でもわかりません。(えっ?もう話はここで終わり!?)
でも、このエイブラハムの言葉を読んで
今を生きるとはこういうことなんだな~と
もっと具体的にわかった気がしました。
それぞれの「時」というものの使い方は
こういうふうにやるんだな~と思いました。
「全てのパワーは今にある」ということは
バシャールや他のスピリットもよく言っていることですね。
でも、具体的に「今」をどう使って行けばいいのか
よくわからなかったのですが
今を生きるということは、気持ちが他へ行かない
ということだけではなくて
今というところから最大限のものを発掘するという
けっこう忙しい作業だったのだ~とわかりました。(^o^)
ただここに何となくいるだけではなくて
ここからどれだけの感謝を引き出すか
ここからどれだけの喜びを引き出すか
ここからどれだけの味わいを引き出すか
ここからどれだけの豊かな色を引き出すか
ということに楽しく取り組んでいるという
100%全開の作業だったのですね。
今を生きるということが
こんなにアクティブな、目をキラキラ輝かせた作業だとは
今まで思っていませんでした。
もちろん瞑想で素晴らしい気分を味わうことも
今を生きるということだし
バスケットボールで走って、シュート!と決めることも
今を生きるということだし
仕事に集中することも、今を生きるということだし
この目の前の全てのことが、当たり前ではない奇跡なのだとわかることも
今を生きるということだし
マジックミラーの部屋に入って
変な体になった鏡の中の自分を見て大笑いしているのも
今を生きるということなのですね。
今という時から、最大限の素晴らしい経験・感情を引き出せるというのは
本当に幸せな生き方ですね。
そういう状態は、許容する(allowing)という状態なので
願望とのギャップがなくなって
ヴォルテックスに入った状態やアライメントの状態になるのですよね。
その状態を成功と呼ぶのかもしれないですが
エイブラハムも言っているように
私達は何かをやり終えて、終了するということはないから
達成するというよりは、達成感を味わうのを楽しんでいるのですよね。
達成感には終わりがないのがいいんですよね。
一つ達成して、また次に達成して
ヤッター!と言うその一つ一つの時が楽しんですよね。
「お疲れ様~。もう達成したから永遠にさようなら~」となってしまったら
人間の歴史はもう既に終わっているのではないでしょうか。
でも、今を生きるというのは、永遠の作業でもあるから
いつもピークでいるというような
そんな完璧を目指す作業でもないんですよね。
今という時から、ほんの1ミリでもいいから
ベターなものを引き出そうという作業だから
今よりほんの1ミリ感謝を多く感じたり
ほんの1ミリ喜びを多く感じられるようにという
そういう可愛い努力でもあるんですよね。
努力というよりは
この今をほんの少しでも素敵なものにしようという
可愛い試みですよね。
少しでも多くの美味しさを引き出す行為だから
人生を楽しく味わっているんですよね。
今を生きるというのは
100%全開の作業でもあるし
肩ひじ張らないリラックスした作業でもあるんですね。
馬のように全速力で草原を走っている状態でもあるし
とろけるような甘い、柔らかな状態でもあるんですよね。
ま、ポイントは、顔の表情が温かいものであるかどうか
ということでしょうかね。
今こんなになごやかな表情でいられるなんて、有難いですね~
それでは皆様、今年も最後までお付き合い下さり
本当に有難うございました。<m(__)m>
皆様のお幸せを心からお祈りしています。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
関連記事もどうぞ。
(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)