諸行無常|全ては一時的な場所
エイブラハムの言葉より:
「あなたが今いるかもしれない喜びに溢れた場所は一時的なものであり
あなたが今いるかもしれない大嫌いな場所も一時的なものである。
あなたの今の現実は
あなたが今まで考えていたことの一時的な、つかの間の頂点(通過点)にすぎないのである。」
The joyous place you may be standing is temporary,
and the abhorrent place that you may be standing is temporary.
Your now reality is only a temporary, momentary culmination
of what you’ve been thinking about.
引き寄せの法則では自分が考えていること
つまり自分が出している波動に等しいことが起こって来ると言われていますが
自分の考えていることというのは常に変わるので
引き寄せの点も常に流動しているのですね。
だから今の現実というのは、その流動点が時間差をもって
具現化(現実化・物質化)したものにすぎないですね。
バシャールも全てのことは常に変化するという法則があると言っているし
仏教でも諸行無常、つまり全てのことは常に変化するから
不変のものはないと言われていますね。
これがなぜなのか、私には今までわからなかったのですが
人間の心が時間と共にコロコロ変わるから
その波動に応じて現象も常に変わるからなのかもしれないですね。
心がある限り波動も変わるので
今いる場所は自分の心が以前に出していた波動に等しい場所であり
それは常に変化すると言えますね。
今享受している喜びに溢れた場所も、以前に考えたことの結果だし
今いる望まない場所も、以前に思っていたことの結果にすぎないから
また同じように未来をここから作って行けばいいのですよね。
自分のことをダメな人間だとか
自分は失敗者だと思う時もあるかもしれないけど
それは流動的な仮の姿についての判断なので
そのような一時的なものを最後の結果のように話すのもおかしな話ですよね。
朝が来ない夜はないように
朝晩朝晩・・・春夏秋冬・・・生死生死・・・と常に変化するのが世の常ですね。
その一時的な姿を終点みたいに捉えて
いろいろとジャッジする暇はないようですね。
それをやっていると常に変化するので
忙しくってしょうがない・・・ってことになりますね。 😀
赤ちゃんがよちよちと歩き出したときに、私達が笑って見ていられるのも
それが一時的な姿で、これから進歩して行くということを
疑うことなく知っているからですよね。
何度転んでもいつか歩けるようになることを知っているからこそ
余裕で笑えるんですよね。
あれが最終的な姿だったら焦るかも・・・(^_^;)
私達は人のことも自分のことも
これから進歩して行く姿なのだと知って見られたら
責めたり焦ったりすることもありませんね。
まあ、落ち着いて・・・と自分をなだめることもできるようになりますよね。 😛
諸行無常というのは
私は今まで何となく悲しいことのように捉えていましたが
実は希望が湧くことだったのですね。
いつも変わるんだから
そんな一時的な状況に振り回されないで・・・っていうことなんですね。
それにしても桜の花も一時的だからこそ
あんなに美しいのでしょうね。
でも、ひまわりも一時的なのに
あんまり枯れても悲しく思われないのはなぜなのか・・・?
やっぱりキャラクターの違いなのかな・・・(^o^)
ひまわりは「じゃあまた来年ねー!バイバーイ!」って感じで別れるけど
桜は「雨に打たれて散ってしまって、ううっ・・・もう会えないなんて悲しい・・・」
というふうに思われますよね。
どちらもまた来年会えるのに、この違いは何なんだ~?
ひまわりは雨にザーザー打たれても全然心配されないけど
桜は「大丈夫かな・・・けな気な桜の花びらが散ってしまう・・・」
とか言って心配してもらえますよね。
やっぱりひまわりみたいな女は損だわ・・・
何だか訳のわからないシメになりましたが
ま、とにかく一時的な姿で落ち込んだり
ジャッジする必要は全くないんですよね!(^o^)丿
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(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)
メアリーさん、今月も素敵な投稿をありがとうございます。
日本人にとって桜は切なさもありますよね。春の捉え方が違うからかな〜。。花吹雪も桜はやはり素敵ですね〜。香港の方にとっての春・桜はどのような感じなのかしら?
諸行無常・・・毎瞬・毎瞬が変化しまくりなので、中々大変(笑)ですが、だからこそ乗り越えられる事もありますね。故にこの瞬間を大切に〜ですね\(^o^)/
毎月毎月、素敵な投稿をありがとうございます!
エイヴリィさん、毎月コメント本当に有難うございます!
よくこんなに忘れないでいて下さってと感動しています。
いつも本当に有難うございます。
ご存知のように香港に桜はないですが、でも桜って世界中で有名なのでみんな知ってますよね。
ワシントンとかにはありますけどね。
桜のピンクの色を作るために、幹の中ではずっと準備が行われていると聞いたことがあります。
そのプロセスさえも楽しんで、そして咲いている時も楽しんで、ということなんでしょうね。
ここにいられることに喜びを感じられるのは幸せですよね。
桜を好きと思う気持ちは、そういう全てのストーリーに共感できるからかもしれないですね。
エイヴリィさんもお元気でお過ごし下さいね。
紅葉の季節も綺麗でしょうね~
美しさを愛でる心は、誰の心の中にもありますよね。
そういう感情を持てるっていうこと自体が、この世の素晴らしさを表していますよね。
なんかすごいことの一部に自分がいさせてもらっているような気がする・・・
楽しいなぁ~・・・
メアリーさんこんばんわ!
ステキな記事ありがとうございます☆
エイブラハムの本はたくさん読んでいて、それでもこんなことが書いてあったのか!と再発見することが多々あります。
もしかしてエイブラハムの本は私の手元に来てからも新しく変わっていたりするのかな?などと興奮してました 笑
ほんとに人を責めずにいれたらいいのに、とよく思います。
大きい緩やかな視野からもっと日々を見ていきたいです。
桜の季節は切ない歌をたくさん聴いてきたり、卒業式とか
「終わり」を桜の花びらが散る様に重ねるイメージが記憶にあります。
私は新芽や新緑もとても好きで、蛍光色の緑の葉に太陽の光が反射して輝いて、
爽やかな心地いい風が吹く感じも好きなので、
1週間もたたぬうちにあれだけキレイなピンクの花を散らせる桜の潔さに
毎年感服しています。
そういえば、冬にも
冬とは思えないあたたかな日が数日あると
ぴょこっと桜の花が咲いてるときがあります(一部未満咲きかな)。
ひまわりは別の惑星の花みたいでおもしろいですね。
あんだけ重い花をいったいどうやって咲かせているのでしょうか?
そういえば、ひまわりも数日前に10本くらい咲いてるのを見たような・・・
どちらもキレイですよね!
jさん、素敵なコメントを有難うございました!
もう「蛍光色の緑の葉に太陽の光が反射して輝いて」という所にやられました。
美し過ぎる・・・
いろんな季節をなんて感情豊かに受けとめていらっしゃるのか、本当に感動しました。
そういう心があったら、もう絶対大丈夫です。
そんなに美しさに気づく心があれば、もう喜びを手に入れていらっしゃいますね。
美しさがわかる心というのは、本当に豊かな土壌と言えると思います。
幸せの花が咲く土壌ですよね。
やっぱり全ては受け留める側にありますよね。
とても素晴らしいことに気づかせて下さって、本当に有難うございました。
メアリーさん。ありがとう。無常。ブッダの言葉だけだと、持たなければ失うことも無い。という隠遁的な感じがしてしまいます。メアリーさんの解釈がわたしは好きです。ひまわりのように、強く、逞しく、暖かい女性が、わたしは好きです。
にしいひであきさん、お元気そうで何よりです。
コメント有難うございます。
諸行無常というのは、感謝の元なのかもしれませんね。
今という時に全てがあるとエイブラハムが言っていることとも関連すると思います。
花もいろいろな花があって、どれがいいとか悪いなんてないですしね。
人間も同じですよね。
全ての人が大切で尊い。
そう思えば人の評価に頼ることもなくなりますね。
いつも有難うございます。