ジル・ボルト・テイラー博士の感動の講演
神経解剖学者(neuroanatomist)あるいは脳科学者(brain scientist)と呼ばれる
ジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor)博士という方がいらっしゃるのですが
この方がTEDで行った講演が大変感動的なのでご紹介させて頂きます。
こんなに素晴らしい動画なのになぜ日本語の字幕が作られていないのかが不思議です。
でもジル・ボルト・テイラー博士が書いた本は日本語に翻訳されているのですね。
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー 著
では、以下がその感動の動画です。
私はこの動画を2010年に初めて見ました。
(主人にその存在を教えてもらいました。)
初めて見たとき本当に感動しました!
数年たった今でもすごい内容だなと思います。
エイブラハムはいつもSourceからの視点として
全てと一つになったワンネスの感覚や
Sourceはあなたの拡大した部分(the broader part of you)だという話をしますが
私はそれは想像することが難しい世界だと思っていました。
でもこの動画を見て、それは脳科学的にも現実なのだと思いました。
私達はいつでもそういうことを実は感じているのだと思いました。
それでは、内容の要訳は以下の通りです。
全てジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor)博士が話した内容です。
私は脳の病気である精神分裂病の弟(または兄、brother)がいたので
脳のことを勉強するようになりました。
どうして私達は夢と現実を関連付けたり、区別したりすることができるのに
弟はできないのかということの理由を知りたいと思いました。
そして大人になって、私は脳科学者として
脳の仕組みや精神病などについて多くの研究をしました。
そんな毎日を送っていた1996年12月10日のことです。
一人暮らしをしていた37歳の私は
朝目覚めると脳障害を起こしていました。
左脳の血管が破裂していたのです。
それに続く4時間の間に私は自分の脳が
完全に機能しなくなるまでの様子を見届けました。
最終的に私の脳は全く情報を処理することができなくなったのです。
脳出血が起こったその朝には
私は歩くことも話すことも読むことも書くこともできず
自分の人生についても何も思い出せませんでした。
つまり、赤ちゃんのようになったのです。
(人間の脳の実物を見せながら 動画の3:00辺り)
実際に脳というものを見てみると
右脳と左脳が完全に分かれているということがわかります。
コンピュータに例えると
右脳は並列処理を行い、左脳は逐次処理を行います。
左右の脳は3億の軸索繊維(神経繊維)からできている脳梁というものを通して
コミュニケーションを取ります。
しかしそれ以外の点では、左右の脳は完全に分かれていると言えます。
そして、各脳は情報を異なる方法で処理するので
左脳と右脳は異なることを考え
異なることを気にします(異なることを重要だと考えます)。
そして、それぞれの脳は
大変違う人格(性格)を持っていると私は言います。
右脳は現在のことだけを考えます。
全て、今ここについてのことだけです。
右脳は画像や映像を通して考えます。
そして体の動きを通して、運動感覚的に学びます。
(情報というのはまずエネルギーとして存在します。)
エネルギーという形の情報が
私達の全ての感覚組織に同時に流れ入り、それが爆発して
私達の周りの巨大なコラージュ(様々な素材が組み合わさった絵)
に広がります。
そのコラージュというのは、この「今」というときが
どのように見えるのか
どのような臭いがするのか
どのような味がするのか
どのような感じがするのか
どのような音がするのか
という情報を含んでいます。
私はエネルギー的な存在で
右脳の意識によって周りの全てのエネルギーとつながっています。
私達は右脳の意識によって、一つの人間家族として
お互いにつながっているエネルギー的な存在なのです。
今ここで、私達はこの惑星上の兄弟姉妹であり
この世界を更に良い場所とするために存在しているのです。
そして、この今というときに既に
私達は完璧で、完全で、美しいのです。
左脳は大変違った場所です。
左脳は直線的に、そして系統的に考えます。
左脳は全てのことを過去と未来に関連付けます。
左脳は現在という巨大なコラージュから詳細の詳細のそのまた詳細を取り上げ
それらの全ての情報を分類して、整理し
過去に学んだ全てのことに関連付け
将来の全ての可能性を予測するという働きをするように作られています。
そして、左脳は言語によって考えます。
脳の中で絶えず続いている会話(おしゃべり)によって
私と私の内なる世界を外界につなげる役目を果たしています。
左脳の会話というのは脳の中で聞こえる小さな声のことで
例えば「明日の朝にバナナを食べるから
帰り道に買っていかないといけない。」とか
「そろそろ洗濯をしないといけない。」というような
物事を計算する知能(思考力)のことです。
おそらく左脳の一番重要な働きは
「私である。私がある。(I am.)」ということを自分自身に言うことだと思います。
しかし、左脳が「私である。私がある。」と言った瞬間に私は周りから切り離されます。
私は周りのエネルギーの流れから分離された単一の固体の(固い、solid)個人となり
あなたから分離されたものとなります。
私は脳のこの部分の働きを
脳卒中が起こった日の朝に失ったのです。
脳卒中が起こった日の朝
私は左目の後ろにガンガンする痛みを感じて目を覚ましました。
しかし私は特に気にせず、いつものように健康器具に乗って運動をし始めました。
全身運動のための機械です。
運動をしながら、ハンドルを持っている自分の手を見て
何だかまるで原始人か動物の手のようだと感じました。
そして、自分の体を見下ろしてみて
「ウワー!自分は変な形をした物だなあ!」と思いました。
それから驚いたことに
普段の見方である「私は健康器具の上に乗って運動という経験をしている人である」という視点から
外部の開放的な空間に自分の意識が移動し
「私はそういう経験をしている私自身を見ている人である」という視点に
自分の意識が変換しているのがわかりました。
全ての経験が私にとって奇妙で、その上頭痛がひどくなって来ていたので
私は健康器具から下りて、リビングルームの中を歩いて行きました。
すると、全ての体の動きが普段よりずっと遅くて、固くて
故意で(慎重に思慮しなければならなくて)
動きになめらかな流動性が全くなくなっていました。
そして、その頃には空間の認知能力がなくなって来ていたので
私は自分の体の中だけに集中するようにしました。
そして、シャワーを浴びようとしたときに
自分の体の中の会話が実際に聞こえて来たのです。
その小さな声はこんなふうに言っていました。
「OK、そこの筋肉達よ、あなた達は収縮しないといけないよ。」
「そこの筋肉達よ、あなた達はゆるみなさい。」
私はバランスを崩して、壁に寄りかかりました。
そして自分の腕を見たのですが、自分の体の境界線がどこなのか
わからなくなっていました。
自分がどこから始まってどこで終わっているのかが
わからなかったのです。
なぜなら私の腕の原子や分子が
壁の原子や分子と混ざり合っていたからです。
私に唯一わかるのは、エネルギーがあるということだけでした。
私は自分自身に「私はどうしてしまったのか。
一体何が起こっているのか。」と尋ねました。
その瞬間に左脳の会話が全く聞こえなくなりました。
完全なる静粛になったのです。
誰かがリモコンのミュートのボタンを押したように
完全なる無音になったのです。
最初は静粛な心の中に自分がいるのを見つけて
驚愕しました。
しかし、すぐに自分の周りのエネルギーの壮大さに
うっとりと魅了されました。
私は既に自分の体の境界線がわからなくなっていたので
自分が壮大で拡大しているというふうに感じました。
そして、存在している全てのエネルギーと一つになっていると感じました。
そこは本当に美しい場所でした。
しかし、突然左脳の働きが戻って来て
「問題が発生している!問題が発生している!
助けを求めなければいけない!」と私に言いました。
私もそのときは「問題が発生している!」と思ったのですが
すぐにまたその素晴らしい意識の場所に戻って行きました。
私はその場所を愛情を込めて「ラ・ラ・ランド」と呼んでいます。
そこは本当に美しい場所でした。
外界へとつなぐ脳の会話(おしゃべり)から完全に切断されるということが
どのような感じなのか想像してみて下さい。
私は仕事やそれに関するストレスなどから解放されて
自分の体の中で軽くなったと感じました。
外界に存在する人間関係やそれに関連するストレスが
全てなくなったとしたらどのように感じるか想像してみて下さい。
私は平和を感じました。
37年間も抱えて来た感情の荷物をなくすということが
どのような感じなのかわかりますか。
私は至福(euphoria、多幸感、陶酔するほどの幸福感)を感じました。
すると突然また左脳が戻って来て
「あなたはこちらに注意を向けないといけない!
私達は助けを求めなければならない!」と言ったので
私も「助けを求めなければ。フォーカスしなければ。」と思いました。
そこで、シャワーから出て、機械のように洋服を着て
自分のアパートの中を歩きながら
「仕事に行かなければいけない。」と思いました。
「でも、私は車を運転できるだろうか。
車を運転するなんてことができるのだろうか。」
と思った瞬間に右腕が完全に麻痺し
私の体の横にだらんとぶら下がりました。
そのときに「大変だ!私には脳卒中が起こっている!」と思い
自分が脳卒中を起こしているという事態を初めて把握しました。
しかし、次に私の脳が私に言ったことは
「ワオー!これは素晴らしい!これはスンバラシイ!」でした。
そして「どれだけの脳科学者が自分自身の脳を内側から外側までひっくり返して
すっかり研究する機会を与えられるだろうか!」と言いました。
しかし、その次には「でも私は大変忙しい女性なのだ!
脳卒中に時間を使っている暇はない!」と思いました。
そこで、とにかく脳卒中を止めることはできないので
1、2週間したら元の生活に戻ろうと思い
とにかく会社に電話をしないといけないので
電話番号を思い出せなくなっていた私は、名刺を探しに行きました。
そして仕事部屋に行き、一番上にあった名刺を見ました。
私は頭の中では自分の名刺がどんなふうに見えるのかはっきりとわかっていたのに
その名刺が自分の名刺なのかどうかが判断できませんでした。
なぜならピクセル(画素=画像の最小単位の点)しか見えなかったからです。
文字のピクセルが背景のピクセルや記号のピクセルと混じり合っていて
どれがどれなのか識別できませんでした。
そこで、私が「明晰の波」と呼んでいるものが来るのを待ちました。
その波が来ると普段の現実に自分を再度結びつけることができるので
そのときに「これは私の名刺じゃない。これも違う。これも違う。」とわかり
次の名刺へと進みました。
そこにあった名刺の山を1インチ(約2.5cm)分だけチェックするのに
45分もかかりました。
その45分の間に脳出血がどんどん広がって行って
私には文字も電話というものも理解できなくなっていました。
そこで、名刺の上のくねくねした曲線の形と
電話盤の上のくねくねした曲線の形とを照らし合わせて
同じものを一つ一つ押して行きました。
しかし、時々ラ・ラ・ランドに意識が漂って行ってしまうので
現実に戻って来たときにその番号を既に押したのかどうかがわからなくなっていました。
そこで、麻痺している右手を左手で持ち上げ
既にダイアルした数字の上に置いて
ラ・ラ・ランドから戻って来たときにその番号を既に押したかどうかが
わかるようにしました。
やっと全ての数字がダイアルされて
同僚が電話に出ました。
同僚は私に「ウォウォウォウォ・・・(意味不明の言葉)」と言いました。
まるで犬のゴールデン・レトリバーみたいだと思いました。
私は頭の中ではっきりと「ジルです。助けが必要なんです。」と言ったのですが
自分の口から出た言葉は「ウォウォウォウォ・・・(意味不明の言葉)」でした。
自分もゴールデン・レトリバーみたいだと思いました。
やってみるまで自分が言葉を話せず、理解もできなくなっていたということが
わからなかったのです。
とにかく同僚は、私が助けを必要としているということがわかり
助けを呼んでくれました。
その少し後、救急車に乗っているときに私は胎児のように丸まり
まるで風船から最後のほんの少しの空気が出るときのように
エネルギーが私の体から上へと出て行き
自分の魂が降参する(サレンダーする)のを感じました。
そのときに、もう私は自分の人生の振付け師ではなくなったということがわかり
お医者さんが私を助けて再び生きるセカンドチャンスを与えてくれるか
あるいは、おそらく死への過渡期を迎えるかであったと思います。
その日の午後に目を覚ましたときに
自分がまだ生きているということを知ってショックを受けました。
私は自分の魂が降参していると感じたときに
既に自分の人生にさようならを言っていましたからね。
その頃の私の心は
2つの相反する現実の平面につながれていました。
感覚組織から入って来る刺激は、私には痛みそのものに感じられ
光は山火事のように私の脳を燃やし
音は大変大きく、メチャクチャに無秩序で
私にはバックグラウンドの騒音から人の声を聞き分けることができず
私はただそこから逃げ出したいと思っていました。
しかし、私には空間における自分の体の位置を認識することができなくなっていたので
ジーニーが魔法のランプから出て自由になったときのように
私は自分が素晴らしく壮大で拡大していると感じていました。
そして私の魂は、静粛な至福の海を偉大なクジラがなめらかに泳いでいるときのように
自由に高く舞い上がっていました。
私は涅槃(ニルヴァーナ、nirvana)を見つけたのです。
だから、この小さな体の中に壮大な自分をまた無理やり押し込むのは
絶対にいやだ、できないと思いました。
しかし、私はまだ自分が生きているということに気づきました。
私がまだ生きていて、涅槃を見つけることができたのなら
生きている全ての人が涅槃を見つけることができると思いました。
そして、この場所にいつでも戻って来ることができるということを知っている
美しく、平和で、心優しく愛情に満ちた人々でこの世が溢れているという映像が
私には見えました。
その人々は「私達は自分の意志で右脳のほうに足を踏み入れ
この平和を見つけるということをいつでも選択できるのだ。」
ということを知っているのです。
私はこの経験がどんなに素晴らしいギフトになり得るかということに
気づきました。
この経験は、私達がどのように人生を生きるかということに対して
何という素晴らしい「洞察の発作(洞察の一撃、洞察の脳卒中、stroke of insight)」になり得ることでしょう!
これらの考えが私に快復しようという意志を持たせました。
脳出血から2週間半後に手術を受け
私の脳の言語中枢を圧迫していたゴルフボール大の血の塊が除去されました。
(写真を見ながら 動画の16:30辺り)
これが私の母です。
私の人生における真の天使です。
私は完治するまでに8年かかりました。
さて、私達は誰なのか。
私達は宇宙の生命力(life force power of the universe)です。
手先の器用さと2つの認識の心(マインド)を持った宇宙の生命力です。
私達は毎瞬毎瞬この世界において
誰に、そしてどんなふうになりたいのか(who and how we want to be)
ということを選ぶ力があります。
今ここで、直ちに、私は右脳の意識のほうに足を踏み入れ
私達が宇宙の生命力であるということを感じることができます。
私は50兆の美しい分子の天才達から成り立っている宇宙の生命力なのです。
そして大いなる存在と一つになっているのです。
あるいは、私は左脳の意識のほうに移動するということを選ぶこともできます。
こちらでは私は一人の個人になります。
固体(solid)で、流れから分離されています。
あなたからも分離されています。
私はジル・ボルト・テイラー博士・知識人・神経解剖学者になります。
これらは私の中の私達なのです。(These are the we inside of me.)
あなたはどちらを選択すると思いますか。
あなたはどちらを(本当に)選択しますか。
そして、いつその選択をしますか。
右脳の深遠な内なる平和につながった回路を働かせるということを
私達がもっと多くの時間、選択すればするほど
もっと多くの平和を世界に投影させて行くことができ
この惑星がもっと平和になって行くのだと思います。
そして、この考え方は広める価値があることだと私は思ったのです。
有難うございました。
(ジル・ボルト・テイラー博士:涙)
(観客:総立ちで拍手喝采)
これで動画は終わりです。
文章でもある程度感動は伝わりましたでしょうか。
今回の記事は本当に長くなってしまいました。
こんなに長くなるとは思っていませんでした。
これ以上は付け加えませんので
どうぞ皆様それぞれにいろいろと感じ取って下さいね。
こんなに長い記事を読んで下さって本当に有難うございました。_(._.)_
P.S. この記事を公開した日の夜に日本語字幕付きの動画があることを発見しましたので
この次の記事でそれをご覧下さいませ。
どうも失礼致しました。
メアリーさん、お久しぶりにコメントさせていただきます!
いつも本当に素晴らしい記事をありがとうございます!
今日のジル・ボルテ・テイラー博士の記事、胸がいっぱいになりました。
そして私がいつも見ているアメブロのyamatonadeshikoさんの9日付の記事を読んだ後だったのでとても驚きました!http://s.ameblo.jp/shiho917avenue/
ちょっと話はそれますが、私は割とヘビースモーカーで体に良くないのは重々承知で、でもエイブラハムも言われていたように体に良くないな〜〜と気にしながら吸うのは良くない^^;と思い、いつも「美味しいな〜幸せだな〜感謝〜」と思いながら吸っているのですが、やはりここ数ヶ月自分と向き合いより自分の波動を高めたいと思うとタバコはやめたいと思い始めているところで、それ以外にも様々な変化が自分に起こり始めている今、今朝この記事を読ませて頂いて、自分の脳や体は宇宙と溶け合っているんだなぁ!と改めて考える機会をいただきました。
私には精神障害の身内がいるので、脳の事はとても興味がありました。
そんな身内がいるという事は、沢山学ばせてもらう事ができます。
でもまだまだ人は計り知れない力を脳や体に秘めているのだと思うとなんだか感動して、もっと本当に自分を大切にしないと と思いました。
まとまりのない文章になってしまいましたが^^;お許しを〜
いつもベストなタイミングで記事を載せてくれるメアリーさんに本当に感謝です!
ありがとうございました!
ミミさん、お久しぶりです!
どうされてるかな~と思っていたのですが、ミミさんは明るく新しいことに取り組んでいらっしゃるのだろうな~と思っていました。
1日前に同じトピックについての記事を読まれていたなんて、本当にすごいシンクロニシティですね。
同じような情報って集まって来るんですね。
「でもまだまだ人は計り知れない力を脳や体に秘めているのだと思うとなんだか感動して、もっと本当に自分を大切にしないと と思いました。」というところ、ジル・ボルト・テイラー博士も同じことをおっしゃっていたので、本当に素晴らしい感じ方だと思います。
自分の体は一つの固体のように思っているけれども、実は液体(エネルギー)のように流動していて、それがまとまった実体として完璧に一つの動きを創り出しているというのはすごいことだそうですね。
私達がいちいち細かいことを命令せずとも一つ一つの細胞が大いなる存在と一つになって、自分(細胞自身)がどうすればいいかを全て知っているというのはすごいことですね。
ミミさんもお子さんを産んでいらっしゃるから同じことを感じられたと思うのですが、私は子供が生まれたとき「私はこの子の目も鼻も口も耳も指も何一つ作っていないのに勝手にこんなに完璧なものが自分のお腹の中でできたなんてすごい!」と思いました。
私は本当に何もしていないよ!体の仕組みさえも知らないし・・・と強く思いました。
勝手に、自然にできたんです。育ててないのに育ったんです。すごいとしか言いようがないです。
それだけ宇宙の叡智というのはすごいものだと思いました。
ミミさん、いつも読んで下さって有難うございます。
あ、今日公開した続編も読んでみて下さいませ。(^o^)
メアリーさん、おはようございます。
今日も素敵な内容を有難うございます。
私は彼女を以前何かで見つけて一人興奮したことを覚えていますが、誰も共感してくれませんでした。(笑)
8年もリハビリを頑張ってこられたのは彼女が脳科学者であったからかも知れませんね。
通常、彼女のように冷静に分析出来ませんし、「何故、私が?」の感情に襲われると思います。
人の体は60兆もの細胞から出来ていると言われていますが、先日、人間の腸は100兆の菌がいて総重量が1キロあると知りビックリしました。
正常に機能してくれているこの身体には本当に感謝ですね。
先日、体調を壊し、1日中寝ていましたが、1日中寝ていられる自分の身体に驚きました。体調不良の理由も分からず終いでしたが、身体が私に何かを伝えたかったことは確かだと思います。
身体って凄いですよね。
話がそれてしまいましたが、素敵な毎日をお送り下さい。
エイヴリィさん、いつも有難うございます。
エイブリィさんはきっと日本語字幕でこの動画をご覧になったことがあるのかもしれませんね。
字幕付きの動画が存在することに昨日の夜初めて気づいた私は、今日の記事でその動画をご紹介しています。(^_^;)
人の体は60兆の細胞からできていて、本当に途方もない数字ですね。
この動画の中ではなぜ50兆の細胞と言われているのかわかりませんが、それだけ数が多いとどうせ同じだと感じますね。(^^♪
腸は第二の脳と呼ばれているぐらい賢いものだそうで、そこには100兆もの菌がいるんですね。
腸だけでも菌がそれだけたくさん存在していて、1キロもあるなんて知らなかったです!
その一人一人(一つ一つ?)が自分の役割をしっかり知っているというこの叡智は計り知れないものがありますね。
一人一人に名前をつけても覚えられない数ですね。
人間の人口70億人の名前ですら覚えられません。(^o^)
体調が1日で回復して本当によかったですね。
健康に感謝して、お互いに素敵な毎日を送りましょう!
エイヴリィさん、今回もコメント有難うございました。
メアリーさん、こんにちは。私はこのビデオは初めて見ました。脳のつくりを体験として話した脳科学者はこの人だけかもしれませんね。また、この人の話と、引き寄せの法則とのつながりも私には納得できました。
右脳の世界は意識して選択することがいつでも可能なんですね。右脳の世界を許容するだけですね。私はまだ経験がありませんが、非常に興味があります。次元が違うかもしれませんが、意図的に創造しようとするとき、その創造のイメージが自分の欲しいものと合致しているとき、体がエネルギーで満たされて体重を感じなくなることがあります。その時は本当に爽快で自由で悩みなどなくなります。そして、多少時間はかかりますが、望みが実現するんですよね。
ニルヴァーナの右脳の世界と、自分の殻を意識させる左脳の世界の2つ持たされている人間。いつでも行き来できるとしたら、メアリーさんはどちらを選びますか?
私には知的障害のある娘がいるのですが、今回のエピソードを見て、娘は今のままで完璧な存在と分かった気がします。今までは、なんとなくそうかなと思いながらも、でも健常児と比べてしまう自分もいたのですが、吹っ切れた気がします。
オマリさん、また深いコメントを有難うございます。
オマリさんは体重を感じなくなるような時間も体験していらっしゃるのですね。
まさに右脳優位のときですね。
そんなふうに自由に右脳の体験へとシフトされているオマリさんはすごいな~と思います。
私はせいぜいブログを一生懸命書き過ぎて、時間が消えてしまい、子供達を迎えに行くのを忘れそうになって「ウワ~ッ!」とか焦っている程度です。(^o^)
どちらでも自由に選べるというのは素晴らしいことですよね。
でもどこかで読んだのですが、常にどちらの脳も働いてはいるそうです。
片方が100%で片方が0%ということは、健康な脳ではあり得ないそうです。
確かに片方だけだと不都合なことはたくさんあると思います。
友達と何時に待ち合わせということができないとか・・・(^^)
人間に脳が左右両方与えられているということは、どちらも大切な役割を果たしているのだと思います。
でも、どうも私は右脳をあまり働かせていないようですが・・・(^_^;)
素晴らしい娘様がいらっしゃるそうで、とても心を打たれました。
オマリさんに対する尊敬がまた深まりました。
いわゆる知的障害を持たれている方は、周りからは可哀想などと思われるようですが、実は本人はアライメントの状態を経験していてすごく幸せだとエイブラハムが言っていました。
そして私達にアライメントや無条件の愛とはどんなものなのかを教えてくれているそうですね。
それについての記事は以下の通りです。
たぶん既に読んで頂いているのではと思いますが、念の為リンクを貼っておきます。
オマリさん、本当に有難うございました。
『自閉症は障害ではなく利点!?』
メアリーさん コメントありがとうございます。『自閉症は障害ではなく利点!?:引き寄せの法則』のリンクもありがとうございます。なぜ障害児が生まれてくるのか、私も疑問でした。その私の疑問に答えてくれる内容でした。所謂障害の名称は違いますが、娘は一般常識からすると、言葉が遅く物覚えが悪く、言うことを聞かない頑固な性格と判定されてしまうんです。(実は私も、ついそう思ってしまいます。)でも明るくて楽しそうなんです。きっと自由を楽しんでいるんですね。同時にアラインしている状態がどういうものなのかを身を以て示しているんですね。
私の場合、所謂障害のある娘が生まれたことで、引き寄せの法則を本屋で手に取るきっかけになったと思います。また、他人は決してコントロールできないということも本と娘を通じて理解できたと思います。娘は自分に引き寄せの法則を教えてくれるために生まれてきたのかな、と考えていたことがありましたが、その通りだったんですね。
また、エイブラハムが言っている「障害者は生まれる前から完璧に自分がどのような状態(障害)で生まれてくるか選択している」、という言葉には感動を覚えました。また娘のアラインメントをもっと知りたくなりました。彼女も自分の欲しいものを引き寄せる力が生まれながらに備わっていて、また意図的に創造できる力があるわけです。人間は平等に生まれてくるのだなと思いました。
右脳の話ですが、メアリーさんが言うように、人間誰もが両方の脳を使っていると思います。特に右脳は無意識に使っているものなのでしょう。エイブラハムが言う、「願望のロケットを打ち上げる」時、それは左脳では無く、右脳なのだと思います。この博士が左脳がマヒして右脳だけの世界を体験した時に、ニルヴァーナが自分の中にあることに気づいたんですね。そして誰でも意識を向ければ、右脳の存在やニルヴァーナの存在に気づけることを伝えたかったのかなと思います。
オマリさん、お忙しいのに長いコメントを有難うございます。
エイブラハムの言葉から娘様の状態が完璧なものとわかられたそうで、私もエイブラハムの教えはすごいなと思いました。
もちろんご苦労もたくさんあることと思います。
でもオマリさんと娘様の生まれる前からの約束はすごいものなのだ!と思いました。
もちろん奥様もすごいですよね。
家族の絆やこの世で体験しようと思ったテーマの深さというのはすごいものがありますね。
感動的です・・・(ウルウル・・・;o;)
右脳の回路をしっかり働かせばいつでもニルヴァーナを体験できるって素晴らしいことですね。
さとうみつろうさんの『神さまとのおしゃべり』という本の中に「幸せになるために感謝するんじゃない。感謝している間、幸せなんじゃよ。」という言葉があるそうですが、それはある意味「右脳とつながっているときにニルヴァーナが現われるんだよ。」というような意味なのかもしれないと思いました。
それならいつでもできますよね。
でも右脳には時間がないから「~~している間」という概念もないんでしょうけどね。
その他にも「お金持ちがいるのではなくて、お金持ちだと思う人がいるだけだ。幸せな人がいるのではなくて、幸せだと思う人がいるだけだ。」というような言葉もあるそうですが、こういうのも時間が存在しない右脳の考え方からすると当たり前のことなんでしょうね。
幸せになることはできないけど幸せであることはできるというのも右脳にとっては「当たり前でしょ!」ということなんでしょうね。
でも左脳からすると時間が存在するからプロセスを体験できますよね。
そういうのは、実は両方とも素晴らしいことなんだと思います。
オマリさん、いつもお付き合い下さって有難うございます。
お幸せなファミリーとなられる(+もう既にそうである)ことをお祈りしていますね。
両方楽しいことですね!
メアリーさん、はじめまして。
シバタと申します(30歳、男性、大分県在住)。
もともと私はエイブラハムの本を読んで、引き寄せの法則を学んでいました。
こちらのブログでジル・ボルト・テイラー博士を知り、先日、彼女の著書である『奇跡の脳』を読みました。
大変おもしろい内容であり、エイブラハムの教えとも重なる部分が多く、その感想を書かせてください。
私の解釈では
右脳 = 調和の脳
左脳 = コントラストの脳
なのではないか、と思いました。
これまでの私の人生では左脳ばかり使って、右脳はないがしろにしてきたなあ、と思いました(^^;
しかし不安や不調和を考える左脳が、不必要なものであるとは思いません。
エイブラハムが言うように、コントラスト(左脳)がなければ拡大・成長は起こらないですから。
右脳と左脳の両方をバランス良く使って、この世界を存分に楽しんでいければと思います。
素敵な人物を紹介していただき、本当にありがとうございました。
これからもブログを楽しみにしています。
シバタさん、どうも初めまして。
丁寧に自己紹介して下さって有難うございます。
お若いのにとても礼儀正しくて、好感の持てる男性で
きっとたくさん周りの方からも好かれていらっしゃる方なのだと思います。
(あれ?私のほうが若いことになっているのに墓穴を掘ったかな?)
ジル・ボルト・テイラー博士は本当に素晴らしい方ですよね。
シバタさんは早速本も読まれて、なんて行動力のある方!と尊敬しました。
何でも素直に実行に移される方ってすごいと思います。
若いと新陳代謝が速いというのは行動力もあるということなのだと思います。
(ってまた年の話になっている。^^;)
シバタさんが教えて下さった右脳と左脳の例え・解釈について
私も本当にそうだな〜と同感しました。
なるほど!素晴らしいアイデアですね!!
そのアイデアで大学の論文を書いたらものすごくいいものが出来上がると思います。
博士論文でもいいですよね。
ああいうのってオリジナルなアイデアが大切だからすごくいい線行きますよね。
もうそれ(アイデア)さえあったらノリノリで書くのが止まらないという・・・(^^)
そういうのを受け入れてくれる大学院があったらいいですね。
シバタさんのおっしゃるように右脳と左脳をバランス良く使って
この世界を存分に楽しんで行けたら素晴らしいですよね。
合言葉は「楽しむ」と「味わう」で私も行ってみます。
ブログを楽しみにして下さって有難うございます。
いつの間にかそんなことを言って下さる読者の方がいらっしゃるんですね〜
不思議なもんです・・・
それでは、本当にどうも有難うございました。