創造している目の前の現実と全体像のギャップ
エイブラハムの言葉より:
「人々が世界は平らだと思っていた時代には
その時代の人々の考えがゆがめられていた(=偏見に満ちていた)
というわけではない。(彼らが集めたデータはそうであるという情報を示していた。)
そうではなく、映像としての情報伝達力がまだ十分に発達していなかったために
もっと大きい絵を見ることができるほど、遠くに下がることができなかったのである。
これと同じことが、あなた達の大変多くの人に見られる:
あなた達は自分が創造している現実に近すぎて
時々それより大きな絵を見ることができないでいるのだ。」
When people thought the world was flat, it wasn’t that their thinking was distorted,
(The data that they were collecting gave them that information.)
it was that they were not broadsighted enough to step back far enough to see the big picture.
And that’s what we see with so many of you:
You are so close to the reality that you are creating, that you sometimes can’t see the bigger picture.
今回のエイブラハムの言葉は
誰もが人生の最後には「本当にそうだった。」と思うことなのではないでしょうか。
人生の最後になって全体像を見ないと
個々の出来事の本当の意味はわからないということも多いですね。
この地球も足元だけ見れば平らだけれども
ずーーーっと下がって地球の外までズームアウトすることができたら
この地球は丸いということがわかりますね。
どれだけの情報が与えられているかで見える情景も変わるそうですね。
もし私達が自分の創造している現実には
違う全体像があるのだという情報を知っていれば
今ここでの生き方も変わって来ますよね。
こういうのってもちろん死ぬ前には身にしみてわかるのでしょうけど
そんなに先まで待ちたくないと思うのは私だけでしょうか。 😛
それにどんな物事も「終わり良ければ全て良し」というところがあるようですね。
今現在が幸せだと以前の出来事も全て今につながったから良かったと思うし
いやだった出来事ももう意識には上がって来なくなるほど
「今さらもうそんなことはどうでもいいわ。」という気持ちになりますよね。
エイブラハムにはそういう俯瞰図が見えていて
人生のストーリーの完璧さも見えるから
どんなときも良い気分でいられるのでしょうね。
私には一部としての絵しか見えないから、様々なことに一喜一憂して
最後にはどうでもよくなることにその都度悪い感情を抱いて
その結果、体を痛めたりもしているんですよ・・・(^_^;)
(ま、治るからいいんですけどね。体さん、有難う。)
そういうのってもっと大きな絵から眺めると
とても滑稽に見えると思います。
でもそれさえも完璧な流れの一部だとエイブラハムにはわかるから
心配なんて言葉はSourceにはないんでしょうね。
Sourceは「全ては良好だ。(All is well.)」と
ある意味、脳天気なことを言っていますけど
その本当の意味は次のエイブラハムの言葉にもよく表れていると思います。
「あなたの内なる存在(=Source)は
常にあなたをあなたの望むものに向かって導いている。
何か他のものからあなたを守っているということは決してない。」
Your Inner Being is always guiding you toward what you are wanting.
It is never protecting you from something else.
エイブラハムは「安全」という言葉は
その反対の「危険」という概念があるから成り立つ言葉なので
「安全(safe)」という言葉さえ
アライメントにある人(=ヴォルテックスに入っている人)は使わないと言っていました。
望むものに向かっているということは
自然に望まないものから離れて行くということになるので
望まないものから守るという概念は生まれないそうです。
何かから守ろうとするということは
その何かのことを考えているということ
つまり、その「何か」という波動が自分の中で活性化されているということになるので
その何かに対する抵抗の波動を生み出し
結局はその何かを自分の経験の中に呼び寄せているということになるそうでね。
「全ては良好だ。」という意味は
何か自分の望まないものから自分を守る必要はなく
自分の望むものに向かって進んで行くのが
Sourceの導いている生き方だという意味とも言えるのでしょうね。
そしてその大きな絵を見たときに
誰もが「全ては良好だ。(All is well.)」と感じるのでしょうね。
この世に対する肯定とか性善論とも言えるのでしょうね。
究極は自己肯定感につながるのではと思います。
100歳まで待たなくてもそう感じたいな~(^o^)
関連記事もどうぞ。
(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)
メアリーさん、こんにちわ。今日も素敵な内容を有難うございます。皆様同様、私もメアリーさんのアップを楽しみにしていますので、新しくアップされているのが分かるとワクワクします。
さて、
【エイブラハムにはそういう俯瞰図が見えていて
人生のストーリーの完璧さも見えるからどんなときも良い気分でいられるのでしょうね。】
人生を丸ごとガッツリ俯瞰は上級者向けですが、どんなに辛いことがあっても、その苦しみはその瞬間だけのもので、一秒後には過去になり、どんどん痛みが薄れていくし、10年後には忘れているかも。と思うようにしています。私にはこの辺りまでかな。そこにあるのは唯一希望だけです。良い気分までは難しい時があります。
しかし、戦前・戦中・戦後を乗り切った祖母を見ていると、私なんて甘ちゃんだな。。て思います。
メアリーさんの俯瞰で思い出しましたが、先日引き寄せの法則を錬金術師のごとく使いまくっている何とも羨ましい女性をブログで見つけたのですが、その方が始めた未来ノート・日記とやらがこの俯瞰と似ているような気がしました。
人生を俯瞰するのは今の私には興味が湧かないところですが、一時間後の私・7時間後の私・3日後の私を俯瞰していい気分に務めるのは可能なのかな。と昨日から実は実践中です。エイブラハム・バシャールは日本でも大人気の方達だったのですね。時代遅れな私です。
そんな時代遅れな私の今日は一昨日俯瞰して出来上がっています。さて、その通りに宇宙はアレンジしてくれるかどうか、今夜それが分かるので楽しみです。その通りにならなくても、エイブラハムの教えを守れば、All is well で問題なしですね。
エイヴリィさん、いつも丁寧に読んで下さって有難うございます。
エイヴリィさんは一つの記事を読んで、そこから吸収・発展するものがとても多いから
私もたくさん教えられています。
「私はそこまで深く考えていなかった。」と思うことも多いです。
同じエイブラハムの言葉を聞いても人それぞれの人生・体験に当てはめて理解するので
そこから広がる世界は広大無辺ですよね。
エイブラハムやバシャールが有名なのかどうか私もわかりませんが、
いつそういうものを見聞きするかというのにもベストなタイミングがあると思うので
時代遅れとかそういう問題じゃないと思います。
人それぞれの常識は違うので、私もいわゆる時代遅れな部分がたくさんあると思います。
でも、どういう情報を取り入れて行くかはその人の選択ですよね。
お祖母様の尊敬する部分をそうやって見つけていらっしゃるエイヴリィさんは
本当に素晴らしい方だと思いました。
すごいことですね~
なかなかできることではないですよね。
儒教の大家からも褒められる行いですね。
こういうのって、実は本当に難しいことですよね。
でも実は本当に幸福に続く道だと私は思っています。
何だか楽しみなことがあるそうで、とってもウキウキしますね。
「楽しみ」っていう感情は本当に素晴らしいものですね。
そのことが起こる前も楽しめるっていうのは、プロセスの素晴らしさを表していますよね。
どうぞ楽しい毎日をお過ごし下さいね!