年齢は若さの問題ではなく分岐点からどちらに行くか
エイブラハムの言葉より:
「それは年月のことではない。
年齢のことでもない。
若さのことでもない。
それは下降のことなんだ。
下降というのは宇宙の源と
融合しているかどうかを表すんだ。
下降というのは今この瞬間に
この分岐点からどちらに進んでいるか
ということなんだ。
この瞬間に私はこの分岐点からどちらに進んでいるか?
この瞬間に私はこの分岐点からどちらに進んでいるか?
それだけのことなんだ。」
It’s not about years. It’s not about age. It’s not about youth.
It’s about decline. And decline is about alignment, or not.
Decline is about, in this moment, which way am I forking?
In this moment, which way am I forking?
In this moment, which way am I forking?
That’s all it’s about.
これは歳とか年齢のことについて話している内容ですね。
日本語で言うと「この分岐点からどちらに進んでいるか」という部分は
とても硬く聞こえるけど
「どちらにフォーク(fork)しているか」という英語の原文の意味は
フォークのように行く手が分かれているんだけど
どれを選ぶ?みたいな日常よくある話なんです。
例えば今日は暑いとして
「夏は暑いからこそ経済が発展していいな~
冷夏だったらクーラーや扇風機も売れないもんね。」
と思うか
「暑くていやになっちゃうな~
暑いと体が疲れるからいやだな~」
と思うかという
そんな些細なことなのよね。
いやなウェイターに出会ったとしても
「ありがとう。ちゃんとお料理を運んで来てくれて。
もし運んで来てくれなかったら
自分で厨房まで取りに行かないといけないもんね。」
と思うか
「あの態度は失礼極まりない!」
と思うか
「あんなに機嫌が悪くて何かいやなことでもあったのかな~
でも自分も今日は
そういう人を引き寄せるに等しい波動を出しているんだから
誰かに自分も迷惑をかけたのか見直さないといけない。」
と思うかなど
いろんなチョイスがあるよね。
そういうふうにいつも
この分岐点からどちらに行こうか
ここから何を思おうか
というチョイスが
結局はその人の年齢を決めるって
エイブラハムは言っているのよね。
若くいたかったら
いつも美しいことを思っていたいって思うよね。
若さのために心をきれいにすること
私も頑張ってやってみるね~
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(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)