引き寄せの法則 エイブラハム|香港在住

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エイブラハムは人を許さない!?人を許す方法

カモメと海
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エイブラハムの言葉より:

「あなたは(誰か・何かを)愛する人なんだ。

だからあなたが愛していないとき

あなたは本当の自分ではない。

だから多くの人は

「あなたが許すとき

あなたは本当の自分になる」と言う。

でも私達が言いたいのは

許すということがあなたを

本当の自分にするんじゃないんだ。

あなたが「源のエネルギー」と

同じ見方をするということが

あなたを本当の自分の姿にしているんだ。

そしてあなたの言う通りだよ—

あなたの「源のエネルギー」は

他人を非難したり責めたりということは

決してしない。」

You are a lover, and when you are not loving, you’re not who you are.

And so, many would say that when you forgive,

then you are who you really are.

And we say it’s not forgiving that makes you who really are,

it’s looking at it the way your Source energy looks at it

that makes you the way you are.

And you’re right—your Source energy will never condemn anyone.

(英語の引用文の著作権はAbraham-Hicks Publicationsにあります。日本語は私が訳しました。)

 

「Source」という言葉の和訳は

「源」ということになるんだけど

これは宇宙の源自分の内なる源泉という意味です。

両方同じものとして扱われます。

 

エイブラハムは、はっきり言って

自分達のことだとよく言っています。(自信満々!)

 

いわゆる神と呼ばれるようなエネルギーのことよね。

それがエイブラハムというエネルギーなんだと

自分で言っていました。 😛

 

そして常に私達の中や

ありとあらゆる宇宙の万物の中を

流れているんだって。

 

全てが作られている共通のエネルギーだから

「Source energy」つまり

「源のエネルギー」と呼ぶのが

一番しっくり来るみたいです。

 

私達がエイブラハムと話をしているときは

源のエネルギーと話をしていることになるのね。 😛

 

バシャール(ダリル・アンカさんがチャネリングしている宇宙人)

「あなた達が我々と話をしているときは

実は自分の内なる存在と話をしているんだよ。

だからこの部屋にはあなた一人しかいないんだ。

という哲学的なことも言っていたしね。 😀

確かにそういうふうにも言えるよね。

 

話をエイブラハムに戻すと・・・

私達がネガティブな感情を感じるときというのは

源のエネルギーと同じ見方をしていないときなんだそうです。

 

その反対にポジティブな感情を感じるときというのは

源のエネルギーと同じ見方をしているときなんだってね。

 

だから「源と一つになる」とか

「源と融合する」という表現を

「私達が最高に幸せな気持ちでいる状態」という意味で

エイブラハムはよく使うわけです。

 

エイブラハムがよく言う

「源の目を通して見る(see through the eyes of Source)」

というのもそれに似ているしね。

 

自分の内なる源だったら

宇宙の源だったら

エイブラハムだったら

神だったら

この状況をどういうふうに見るだろう?

どういうふうに感じるだろう?

といつも考えて

源が見るように

源が感じるように

見たり感じたりするのが幸せな選択みたいね。

 

エイブラハムがこう言っていました。

源(=エイブラハム)がシャワーを浴びたら

どんなに気持ちよく感じるか知っているかい?

 

源がごはんを食べたら

どんなにおいしく思うか知っているかい?

 

源が道を歩いたら

どんなにうれしく、おもしろく

そして美しく思うか知っているかい?

 

源がどんなに人生を味わい、楽しみ、

感謝するか知っているかい?

 

あなた達はいつでも

源の見方と自分の見方を

合わせることができるんだよ。

それは選択なんだよ。

 

そして私達(=源)は

いつもそこからあなた達を呼んでいるんだよ。

 

源の呼んでいる声(call of Source)が

聞こえるかい?

 

私達はいつもあなた達の中を流れているんだよ。

その入口をあなたがもっと広げたなら

もっと私達はあなたの中を流れられるんだよ。

 

でも私達があなたの代わりに

選択することはできないんだ。

これはあなたの人生だから。

 

私達は常にあなたといっしょに歩んでいる。

でもあなたの代わりに歩むことはできないんだ。

 

そんなふうにエイブラハムは言っていました。

(なんか書いてて感動した。ウルウル・・・(;_;)

 

今日の「許す」というテーマに戻りますが・・・

エイブラハムは許すということをしない

以前言っていたのを覚えています。

 

なぜかというと、許すということは

批判や責めの感情がまず先に存在しないと

できないことだからだそうです。

 

簡単に言えば

許さないという状態があるから

許すことができるということなんだってね。

 

「許す」という言葉の語源は

「ゆるむ」から来ているって

斎藤一人さんがおっしゃっていたけど

まず締まっている状態があるから

ゆるめられるわけですね。

 

エイブラハムによると

まず抵抗という性質の波動

自分がいるということが前提にあって初めて

許すということが経験可能になるそうです。

 

そして許すということは

その抵抗している場所から抵抗を手放して

気分のいい場所に移動するということなんだそうです。

(波動的な場所の話ね。

物理的な場所の話じゃないよ。 😉 )

それを人間は「許す」と呼んでいるんだってね。

 

だからエイブラハムは

そういう抵抗を手放す必要があるという(波動的な)場所には

決して自分の身を置くことはないから

人間が「許す」と呼ぶ経験をすることはないんだって。

なんかすごい話だね~

 

これは私の意見だけど、「許す」って言うと

なんか自分が正しくて相手が悪い

ということが前提にあるような気がして

何となく自分を上に見ているような

そんな感じがしない?

「許してやってるんだよ」みたいなね。

 

それに自分はいい子で相手が悪い子みたいな

そういう白黒つけるような概念っていうのか

ゼロか1かみたいな概念が前提としてあるような気がするんだけど

そんなことないかな?

二極的な見方っていうかね。

 

良いとか悪いとかの判定を下して

人を評価(judge)しているような

そんな気もするしね。

 

なんかそういうのって

前提からして入る所が違う感じがするんだけど・・・

 

だから許すというよりは

源と同じ見方をする

と言ったほうが何だかしっくり来るよね。

 

源と同じ見方をしたら

許すことなんて何もなかった

という心境になったりしてね。

なんかレベル高いね~

 

「この恨み晴らさでおくべきか!」

なんていう世界もあるのにね。 :mrgreen:

なんか昔にそんなマンガがあったよね?

今ふうに言ったら「倍返しだ!」の世界かな?

 

なんか場違いにバカなことを言っていますが・・・

でもそこで笑えたら

許すか許さないにこだわっているような波動には

もういないってことよね。 😉

 

ついでに言うと

斎藤一人さんがこんなことをおっしゃっていました。

 

「私、あの人のことが許せなくて

それを考えると夜も寝られなくて

ご飯も喉を通らないんです。」

という人がいますが

その相手の人は、しっかり夜も寝ているし

ご飯もパクパクお腹一杯食べているよって。

 

あなたがそんなことを思っているなんて

知りもしないと思うよって。

確かにそうだ。 😛

 

阿部敏郎さん雲黒斎さん

コラボのトークライブ(DVD)の『阿雲の­呼吸 降参のススメ』

こんなことをおっしゃっていました。

 

「私、どうしてもOOという思いが

手放せないんですけど

どうやって手放したらいいんですか。

と聞く人がいますが

あなたの持っているOOが何かわかりますか。

 

それは「うOこ」なんですよ。

(Oには五十音の一番最後の文字を

入れて下さい。 :mrgreen:

 

それがわかれば

「どうやって手放したらいいんですか。」

という質問は生まれないですよねって。

確かにそうだ。 :mrgreen:

 

手放すなと言われても

うぇ~っ~!とか言って手放すよね。

投げ捨てると言ったほうがいいかもしれない。

なんであんなものをあんなに長い間

大事に持っていたんだー!ってね。 (^^;)

 

何だか宴もたけなわになって来ましたが・・・

最後にアシャーマリ(Ashamarae)さんという

アメリカ人の男性がチャネリングしている

セイント・ジャーメインという聖人の言葉で締めくくるね。

私はこの言葉が大好きです。

 

「覚えておくんだよ。

あなたの周りの全ての人々は

あなたがもっと愛するということの手助けをするために

存在してくれているのだということを—

たとえ彼らがどのように振る舞っていようともだ。

あなたにはたった一つの務めがある—愛すること。」

Remember, everyone around you is there

to help you to love more,

no matter how they are acting.

You have one duty – to love.

 

関連記事もどうぞ。

『セイント・ジャーメインによる感謝の世界』

Name of author

Name: メアリー

6 Replies to “エイブラハムは人を許さない!?人を許す方法”

  • メアリーさん、はじめまして。

    昨日こちらのブログに出合わせていただきました。
    エイブラハムについて、初心者です。
    メアリーさんの解説はわかりやすくて、スッと胸に入ってきます。

    「許す」ということについて、引っかかる部分があったのですが、お陰様で言葉にならなかった自分の想いが形になってきました。
    ありがとうございます。

    他の記事も少しずつ読ませていただきます。

    お礼の氣持ちをお伝えしたくて、
    コメントしました。

    ありがとうございます。

    Reply
    • メアリー Post author

      なつみさん、はじめまして。
      コメント書いて下さって本当に有難うございます。
      昨日このブログを見つけて下さったばかりなのに
      もう早速お礼だなんて本当に有難うございます。
      お逢いできて本当にうれしいです。

      書いている私も実はなつみさんほどの理解力はないのですが、
      なつみさんのご経験の中で何か腑に落ちるものがあったそうで
      それは本当に良かったです。
      なつみさんの素晴らしい理解力と吸収力があってのことだと思います。
      私のお伝えした内容よりも、行間を読むというか
      感じ取るなつみさんのお力があってこそ
      そのように感動されているのだと思います。
      そんな素敵な方にお逢いできて本当に光栄です。
      有難うございました。
      また少しずつよろしくお願い致します。

      Reply
      • メアリーさん、おはようございます。
        ご丁寧な返信をありがとうございます。
        こちらこそ、素敵な方とご縁をいただき光栄です。

        最近ようやく、少しずつ点と点が線になってきてるかな?と感じてきたところで、理解力も吸収力も遅い…と自分では感じていますので、
        メアリーさんにお褒めの言葉をいただき、とてもうれしかったです。ありがとうございます。
        メアリーさんはじめ、色々な方の力をお借りしながら、自分のペースで理解を深めていきたいと考えています。
        よろしくお願いいたします。

        追加でシェアをさせていただきます。
        「許す」という言葉、このような分野に触れるようになってから、私にとっては頻繁に目にし意識するようになったと思います。(「自分を許す」という言葉などでも)。
        でも「謝る」とは違って、許すって、かなりの事をした時に使う感覚があって、私の中ではイマイチしっくりこなかったのです。
        もちろん表す言葉としては「許す」ということになるのですけども。
        …説明下手で、すみません。

        メアリーさんの言葉で、「許す」に対する同じような想いが私にもあったことに氣づき、また他の事柄とも繋がり、納得することができました。
        おっしゃる通り、よっぽどの事がない限り、どっちが悪いなんてないと分かっていても、無意識になるとジャッジしちゃってますね…当事者になったら特に…。氣をつけているので前よりは幾らかマシになってはいると思うのですが。
        前提が大切ということ、自分を含めジャッジしないことを改めて心に留めていきます。

        いろんな方の言葉を紹介くださって勉強になります。ありがとうございます。

        長文になってしまい失礼しました。
        読んでいただき、ありがとうございます。

        今日も素敵な一日でありますように!

        Reply
        • なつみさん、またお返事下さって有難うございます。
          長文を書いて下さって本当にうれしいです。
          私はいくらでも読むのは好きなので、
          なつみさんがよかったらですけど、
          いくらでもご感想を教えて下さいませね。
          もちろんそういうご気分の時だけで結構です。
          厚かましいお願いですみません。

          人をジャッジしないというのはほとんど無理なような気もしますが、
          それぞれの方にはそれぞれの事情や立場や生い立ちやご性格などがあって、
          自分と感じ方などが違うということは当然なのだと思っています。
          私はそういうことを学ぶために
          いろいろな国の人が混ざっている香港という場所に
          住んでいるのかなあと思っています。

          みんなそれぞれの学びの中で楽しんで、いろんなことを知って、
          成長して行く喜びを感じられるといいですよね。

          なつみさん、深いお話を有難うございました。
          とても謙虚な方でびっくりしました。
          またいろいろと教えて下さいませね。
          本当に有難うございました。

          Reply
  • メアリーさん

    たとえ、周囲の人々がどのような行いをしていても
    全て 私が人を愛するための行いなんだと
    腑に落ちました。

    体の芯の部分が暖かいです。

    メアリーさんの書かれている記事を読むたびに
    自分の中に揺るぎない芯のようなものが出来るのを感じています。

    平常心を保てる、と言うような感覚です。

    ソースともっともっと繋がって同化したい。同期かな?

    精神世界って、コンピューターのシステムと似ていると思いませんか?

    更新、同期、最適化など。

    正しいシステム(ソフト)をインストールすれば
    ワンクリックで望みのものを瞬時に叶えること、
    限りなく物質的に見える 極端にバーチャルな所とか。

    ソフトウェア(精神)とハードウェア(身体)とか。

    おもしろい!

    Reply
    • メアリー Post author

      さやかさん、またコメントを有難うございます。
      さやかさんの心も体もどんどん暖まっていて素晴らしいことですね!
      そういうことを聞けて本当にうれしいです。
      さやかさんの共鳴力はすごいですね。
      記事の内容を百万倍にして理解されているのだと思います。
      感受性豊かなさやかさんの心が更に育って行っていて素晴らしい!と尊敬します。
      おもしろい!という感覚もエイブラハムはヴォルテックスに入っている状態だと言っていました。
      コンピュータの例えもとてもおもしろいですね。
      どんどんおもしろいと感じる毎日を過ごしていって下さいね。
      さやかさん、いつも読んで下さって本当に有難うございます。

      Reply

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